なにかの知識

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カンブリア爆発とは?わかりやすく5分で解説

カンブリア爆発とは、古生代カンブリア紀に起きたとされる生物の爆発的進化のこと

この現象によって、今日みられるほとんどの動物門が突然出揃ったと考えられている。動物門とは生物分類の階級のことで、たとえばヒトは動物界、脊索動物門、哺乳綱、霊長目、ヒト科、ヒト属に分類される。

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バージェス動物群の研究

1909年、アメリカの古生物学者ウォルコットが、カナダの地層バージェス頁岩からカンブリア紀の化石群(バージェス動物群)を発見した。1960年代、イギリスの古生物学者ウィッチントンが研究を進め、現生の動物とかけ離れたデザインに注目が集まった。

1989年、アメリカの古生物学者グールドが、バージェス動物群を紹介した著書ワンダフルライフを発表した。彼は古生物が原始的で単純とは限らないとし、また5億4200万年前からの数1000万年で現生動物門が突然揃った(カンブリア爆発が起きた)と主張した。

一方イギリスの古生物学者フォーティは、大型や硬い外骨格といった化石に残りやすい生物がカンブリア紀に登場しただけで、生物の多様性はそれ以前から緩やかに起きていたとした。それでも、1億年に満たない期間で急激な進化が起きていることになる。

カンブリア紀の代表的な動物

カンブリア紀の動物の特徴として、ユニークなデザイン大型硬い外骨格眼の獲得等があげられる。カンブリア紀の代表的な動物を以下に示す。

三葉虫

カブトガニのような外骨格、1対の触覚、1対の複眼(ない種もいる)が特徴。最古の節足動物といわれ1万種以上存在したといわれる。名前の由来は左、中、右と三葉に身体が分けられるため。最初に眼を獲得した生物といわれる。

アノマロカリス

エビの胴体に似た2本の触手、円形の口、1対の複眼、左右に伸びた13対のひれが特徴。初め触手と口が別々に見つかり違う生物と思われていたが、後に完全な化石が発見され修正された。全長2mのカンブリア紀最大の生物。名前は奇妙なエビという意味。

オパビニア

象の鼻のように伸び先端がはさみ状の1本の触手、5つの眼、左右に伸びたひれが特徴。ウィッチントンが学会で発表した際、その独特なデザインに会場が笑いに包まれた。名前は発見場所の地名からとられた。本記事のトップ画像はオパビニアの化石。

ハルキゲニア

細い胴体を持ち、背中側に伸びた1対ずつ並んだ複数の長いトゲ、腹側に伸びた爪を持つ複数の長い脚が特徴。初めの復元図は現在のものから上下前後が反転していたが、爪の発見により上下が確定、眼の発見により前後が確定した。名前は幻という意味。

ネクトカリス

移動時に水を噴出する漏斗を持つイカの様な胴体、1対の触手が特徴。初め化石が1つしかなく復元図はエビの頭と魚の胴体となっていたが、その後新たに発見された化石によって修正された。名前は泳ぐエビという意味。最古の頭足類といわれる。

ミロクンミンギア

脊索を持ち魚に似た外観が特徴。 バージェス動物群よりも古い年代までカバーする中国のカンブリア紀の化石群(澄江動物群)から発見された。最古の魚類とされ脊椎動物共通の祖先といわれる。同じく最古の魚類として、ハイコウイクチスという動物もいる。

カンブリア爆発の原因

カンブリア爆発の原因はいまだ明らかになっていないが、様々な仮説が唱えられている。これら仮説が複合して起きた可能性もある。以下に主な仮説を示す。

環境変化説(仮称)

環境変化説とは、地球環境の変化がきっかけでカンブリア爆発が起こったという説のこと。1992年、アメリカの地質学者カーシュビンクがスノーボールアース(全球凍結)仮説を唱えた。これはかつて気候変動により地球全体が氷に覆われていたという説のこと。

全球凍結が火山活動等により維持できなくなると、地球が一気に温暖化する。その際栄養を含んだ氷が海に溶け、植物は大量の酸素を放出しオゾンもできた。これら栄養増加、酸素濃度上昇、オゾン層形成がカンブリア爆発を引き起こしたとする説がある。

また、世界中でカンブリア紀以前の地層の欠損が確認されている。これを大不整合というが、氷河で地層が削られ栄養が海に流れたためという説がある。その他、この時期に地磁気が弱まり、多く降り注いだ放射線が遺伝子に変異をもたらしたとする説もある。

光スイッチ説

光スイッチ説とは、眼の獲得がきっかけでカンブリア爆発が起こったという説のこと。1998年、イギリスの動物学者パーカーが提唱した。捕食者が眼を獲得すると、被食者が対抗して眼を獲得し早く逃げたり、硬い外骨格を持つように進化する。

すると捕食者がさらに精度のよい眼や強いあごを獲得するというように、動物間のイタチごっこカンブリア爆発の原動力になったと考える。このように、ある適応(眼の獲得)とそれに対抗する適応(硬い外骨格等)が互いに起こる働きを進化的軍拡競争という

ミッドウェー海戦とは?わかりやすく5分で解説

ミッドウェー海戦とは、1942年6月に起きた日本軍とアメリカ軍との海戦のこと

日本軍はこの海戦で大敗を喫し、以降太平洋戦争の主導権がアメリカに移った。

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背景

1941年12月8日、日本の空母機動部隊がハワイ真珠湾アメリカ軍基地を攻撃し、太平洋戦争に突入した(真珠湾攻撃)。空母機動部隊とは、空母を中心とした航空戦を主任務とする部隊のことで、真珠湾攻撃の成功により有効性が実証された。

真珠湾攻撃の目的はアメリカ艦隊の撃滅だが、当日空母の姿はなく攻撃することができなかった

MI作戦立案

1942年4月1日、連合艦隊司令部がMI作戦を立案した。MI作戦とは、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻からなる空母機動部隊がミッドウェー島を空襲し占領、その後真珠湾からアメリカ艦隊を誘い出し撃滅するという作戦のこと。

この作戦に日本海軍軍令部や陸軍は、ミッドウェー島の維持が困難な点等から反対したが、結局作戦は許可された。この時連合艦隊司令部は空母撃滅、軍令部はミッドウェー島占領を第1目標としており、日本海軍内で作戦に食い違いが起きていた

セイロン沖海戦

1942年4月5日、イギリス領のセイロン島攻略を目指す日本軍と、イギリス軍がセイロン沖で衝突した(セイロン沖海戦)。日本軍の作戦は、空母機動部隊でセイロン島を空襲し占領、その後イギリス艦隊を誘い出し撃滅するというMI作戦に近いものだった。

この時、セイロン島への第1次攻撃が不十分との報を受けた第一航空艦隊司令長官の南雲忠一は、対艦用装備(魚雷や徹甲弾)の航空機を陸用爆弾へ兵装転換するよう指示した。しかし、その後索敵機より敵艦発見の報を受け再兵装転換を命じた。

兵装転換は2時間近くかかり、その間空母は無力状態になるため現場は混乱した。しかし結局日本側の大勝利に終わったため、索敵不備と兵装転換の問題は無視された。ちなみに、南雲の専門は水雷(魚雷等の戦闘)で航空知識は不足していた。

ドゥーリトル空襲

1942年4月18日、空母ホーネットから発艦した爆撃機が初めて日本本土を空襲した(ドゥーリトル空襲)。これにより、軍令部と日本陸軍が空母の脅威を認識し、MI作戦の必要性が高まった。

図上演習

1942年5月1日、日本海軍がMI作戦の図上演習を行った。図上演習とは、海図上で行う作戦のシミュレーションのことで、事前に定めた各軍の攻撃力、防御力、命中率等のデータを用いて行われる。この時、日本海軍の損害が多く作戦失敗という結果になった。

しかし、日本海軍はアメリカ軍を過小評価し、本来変更不可能なアメリカ軍の戦力や命中率を下げ、ミッドウェー攻略は可能と判断した。

珊瑚海海戦

1942年5月4日-8日、オーストラリア自治領のポートモレスビー攻略を目指す日本軍と、これを暗号解読により察知したアメリカ・オーストラリア軍が、珊瑚海で衝突した(珊瑚海海戦)。これは史上初の空母機動部隊同士の海戦となった。

この時敵空母一隻を撃沈したが、日本海軍も索敵が不十分で軽空母を沈められた。しかし、未熟な第五航空戦隊でもアメリカ艦隊と互角に戦えたとプラスに捉えられ、暗号が解読されている可能性と索敵不備の問題は無視された

アメリカ軍の動き

日本海軍の通信を傍受したアメリカ軍は、攻撃目標がAFということを知った。そこでアメリカ軍はわざと平文でミッドウェー島からオアフ島へ真水不足と送信した。その後、日本海軍の暗号にAFは真水不足の文言を見つけ、AFがミッドウェーと把握した

これによりミッドウェー島の兵力増強と空母機動部隊をミッドウェー島近海に展開した。その際、珊瑚海海戦で損害を受け修理に3ヶ月かかるとされた空母ヨークタウンを3日で戦線に復帰させた

ミッドウェー海戦

1942年6月5日-7日、ミッドウェー海戦が起こった。まず航空兵力の半数をミッドウェー島爆撃にあてたが、攻撃隊より第2次攻撃の要ありとの報を受けた。そこで第一航空艦隊司令長官の南雲は、付近に敵艦はいないと判断し陸用爆弾へ兵装転換を命じた

その後、遅れて発艦した索敵機より敵艦発見の報を受けたが、索敵機は敵艦位置を遠く見誤った。航空専門で第二航空戦隊司令官の山口多門は陸用爆弾でも空母の甲板を破壊できるため、攻撃隊発艦の要ありと進言したが、南雲は却下し再兵装転換を命じた

その間、ミッドウェー島と敵艦空母から攻撃機が飛来したが、護衛していた零戦がほとんど打ち落とし被害はなかった。しかし、高高度にいた爆撃機を見逃し赤城、加賀、蒼龍が被弾、兵装転換中の爆弾や魚雷に誘爆し3隻とも沈没した。

残った飛龍もヨークタウンを大破させたが反撃に合い沈没した。ヨークタウンは潜水艦の伊168が撃沈した。結果、日本側空母4隻沈没、戦死者3,000人、アメリカ側空母1隻沈没、戦死者300人となり、太平洋戦争の主導権がアメリカに移った

半側空間無視とは?わかりやすく5分で解説

半側空間無視とは、脳の損傷により左右どちらかの刺激を認知できない症状のこと

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概要

大脳は注意、記憶、言語、思考、行為等の高次脳機能に関わる脳の領域となる。病気や事故等で大脳の一部が損傷すると、その部位ごとに異なる障害(高次脳機能障害)が起こる。その中で半側空間無視は、左右どちらかの刺激を認知できなくなる症状をさす。

症状

具体的には皿の右側の料理だけを食べる、左側の人から声をかけられて右側に振り向くまたは気づかない、右側だけ髭を剃る、左側の物にぶつかる等の症状がある。このように、左側の刺激を無視する場合が圧倒的に多い。これを特に左半側空間無視という。

視力障害との違い

実験で左半側空間無視の患者に対し、普通の家の絵とその家の左側が燃えている絵を見せ、どちらに住みたいか質問した。すると。どちらも同じ絵のため選べないと回答した。そこで、あえて選ぶならどちらかと質問すると、高確率で普通の家を選んだ。

また別の実験では左半側空間無視の患者をモニター前に座らせ、左側に一瞬動物を表示しその後右側に果物を表示した時と、左側に一瞬果物を表示しその後右側に果物を表示した時での反応速度を比較した。すると後者のほうが早く反応した。

このように、先に与えた刺激が後の刺激に影響を与える現象をプライミング効果という。つまり、半側空間無視視力が正常で物理的には見えているが、意識にのぼらない症状といえる。この点が片側が見えなくなる障害(同名半盲)とは異なる。

検査方法

半側空間無視は患者によって症状が異なるため、様々な検査方法を用いて診断を行う。主な検査方法を以下に示す。

抹消試験

抹消試験とは、ランダムに配置された図形のすべてに印を入れさせる試験のこと。左半側空間無視の患者は、右側の図形にしか印を入れない。

模写試験

模写試験とは、花や家等の絵を模写させる試験のこと。左半側空間無視の患者は、絵の右側しか模写しない。この時の結果は二通りある。たとえば、左右に花が1本ずつある絵では、右の花だけ模写する場合と左右の花をそれぞれ右側だけ模写する場合がある。

前者を自己中心無視、後者を物体中心無視という。

線分二等分試験

線分二等分試験とは、左右に伸びた線分の中心位置に印を入れさせる試験のこと。左半側空間無視の患者は印が右側にかたよる。

描画試験

描画試験とは、時計や人等を描かせる試験のこと。たとえば時計の文字盤を描かせる場合、左半側空間無視の患者は数字を右側に密集させたり、もしくは数字を右側にしか描かない。また絵や文字が傾く傾向がある。

これは、半側空間無視の患者の空間軸が傾いていると考えられるため。

発生メカニズム

半側空間無視は患者によって症状が異なり複雑なため、未だに発生メカニズムは明らかになっていない。主な説を以下に示す。

表象障害説

表象障害説とは、意識下で片側のイメージが作れないために無視が起こるという説のこと。1978年、イタリアの脳神経科学者ビジャッキらが提唱した。彼らはミラノ大聖堂広場をよく知る患者を集め、大聖堂に正面を向いた場合と背を向けた場合を想像させた。

そこで何が見えるか質問すると、どちらを向いた場合でも右側の景色のみを答え、左側の景色を無視した。さらに想像上の向きを変えただけで少し前に答えられた景色を答えられなくなった。つまり無視は脳内(意識)でも起こる

注意障害説

注意障害説とは、注意が片側にしか向けられないために無視が起こるという説のこと。1987年、オーストリアの脳神経科学者キンスボーンらが提唱した。主に右脳は左右空間、左脳は右空間に注意が働くため、脳の損傷で左右の注意に偏りが生じると考える。

現在主流の説。

方向性運動低下説

方向性運動低下説とは、無視する側への運動がうまくできないために無視が起こるという説のこと。1993年、アメリカの神経科医ハイルマンらが提唱した。

一側性記憶障害説

一側性記憶障害説とは、無視する側の刺激が記憶できないために無視が起こるという説のこと

病巣

半側空間無視の病巣は未だに特定されていない。1999年、アメリカの神経科医メスラムが神経ネットワーク仮説を提唱した。これは知覚入力を行う頭頂葉、運動出力を行う前頭葉、動機付けを行う帯状回等が全体で空間の注意を行っているというもの。

現在、これら神経ネットワークの損傷が半側空間無視を引き起こすと考えられている。

治療法

半側空間無視の治療には、感覚への刺激が有効とされている。たとえば、耳に冷水や温水を注入するカロリック刺激、頸部への振動刺激、内耳への電気刺激等がある。また視界を矯正するプリズム適応療法も行われる。

これは左半側空間無視の患者の場合、視野を右にずらすプリズム眼鏡をかけさせ、目標を指で指す訓練を繰り返し行わせる。その後眼鏡を外すと、治療前よりも左側に視界が矯正され認知範囲が広がるというもの。

心の理論とは?わかりやすく5分で解説

心の理論とは、アメリカの心理学者プレマックとウッドルフが提唱した自己と他者を区別しそれぞれが心を持つ存在だと認識する能力のこと

ヒトでは4歳頃に獲得すると考えられている。

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心の理論の提唱

1978年、アメリカの心理学者プレマックとウッドルフが、論文チンパンジーは心の理論を持つかで心の理論の存在を提唱した。心の理論とは、他者が心を持つ存在だと認識し、その心の状態の推測から他者の行動を理解する能力のこと

たとえば友人がコーラを購入している時、自分は炭酸が苦手でのども渇いていないが、友人は炭酸が好きでのどが渇いていたためにコーラを購入したと、友人の心の状態を推測し理解する。このように他者の心を理解する能力がある時、心の理論を持つという

誤信念課題

1978年、アメリカの哲学者デネット、ハーマン、イギリスの哲学者ベネットが、他者が誤った信念(誤信念)を持つものだと認識できる時、心の理論を持つといえると主張した。1983年、オーストリアの心理学者ヴィマーとパーナーが誤信念課題を考案した。

ヒトが誤信念課題に正答できるようになるのは4歳頃とされる。つまり、ヒトの心の理論の獲得は4歳頃となる。以下に代表的な課題を示す。

サリー・アン課題

サリーとアンが同室にいる。サリーはビー玉をかごに入れ部屋を出た。アンは、サリーが部屋を出ている間にビー玉をかごから取り出し箱に入れ替えた。いまサリーが部屋に帰ってきた時、サリーはビー玉を探すためにどこを見るかと被験者に質問する。

正解はかごだが3歳児の大半は箱と答える。

スマーティ課題

被験者にスマーティ(チョコレート菓子)の箱を見せ、何が入っているか聞く。被験者はスマーティと答える。そこで、実際には中に鉛筆が入っていることを確認させる。いま中身を見ていない人は、中に何が入っていると答えると思うかと被験者に質問する。

正解はスマーティだが3歳児の大半は鉛筆と答える。

心の理論の仕組み

心の理論の仕組み、つまりどのように他者の心を理解するのかについては大きく2つの立場がある。以下に内容を示す。

理論説

理論説とは、自然科学の理論と同様に心の働きを理論化することで、他者を理解するという説のこと。たとえば、磁石が鉄を引きつけるのは磁力のためという理論が成り立つが、お菓子が子供を引きつけるのは甘いものへの欲求のためと理論化できる。

さらに理論説は、先天的(生得的)に理論や知識が備わっていると考えるモジュール説と、後天的に理論や知識を獲得すると考える子供の科学者説に分かれる。前者は生得的な運動能力の歩行に似て、後者は後天的な運動能力の自転車に乗ることに似ている。

シミュレーション説

シミュレーション説とは、自己の心をモデルに他者の心をシミュレーションすることで他者を理解するという説のこと。ある車の衝突安全性を調べる時、理論的に計算するのが理論説、同様の車で衝突試験をするのがシミュレーション説の考えに似ている。

シミュレーション説では、もし自分が相手の立場だったらと考え行動を予測するため、理論や知識は必要ない。

自閉症の研究

自閉症とは発達障害の一種で、対人関係やコミュニケーション障害および特定の対象への強い興味等の特徴がある。 1985年、イギリスの心理学者コーエンらが、健常児やダウン症児に比べ自閉症児の誤信念課題の回答率が低いことを示した。

このことから、自閉症は心の理論が欠損している障害という考えが生まれた(心の理論欠損仮説)。しかし心の理論欠損仮説では、なぜ強い興味を示すようになるのかを説明できない。そのため単純に質問の方法が悪いために回答率が低いのではという意見もある。

ミラーニューロンの発見

1996年、イタリアの神経生理学者リッツォラッティが、サルの脳内で自分が行動する時と他者が同じ行動をするのを見た時に、同じく活性化(発火)する神経細胞ミラーニューロンを発見した。つまり、脳には他者の行動を自分の行動と等しく扱う領域がある

ミラーニューロンは、たとえば相手がアイスを食べるのを見た時と自分がアイスを食べる時で等しく発火する。そのため、シミュレーション説の証拠示すものとして研究が進められている。但し、倫理や技術的な問題もありヒトでは存在が確認されていない。

動物の心の理論

動物が心の理論を持つかどうか調べるためには、視覚や聴覚を用いた誤信念課題を与える。たとえば、対象だけに餌の場所を教え、他の動物の鳴き声や視線を与えた時とそうでない時で、餌を隠すそぶりや餌に向かうルート等行動に違いがでるかを調べる。

この時の行動に違いがでれば、餌の場所を知らない他者の存在を理解し心の理論を持つ可能性があるといえる。但し、単に過去の経験から学習しただけの可能性もある。チンパンジー等の霊長類やワタリガラス、ブタ等が心の理論を持つ可能性がある。

違法性阻却事由とは?わかりやすく5分で解説

違法性阻却事由とは、処罰の必要性が否定される正当防衛等の事情のこと

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犯罪が成立するには

日本の刑法では、犯罪の成否を3段階に分けて検討する。すなわち、構成要件に該当し、違法性阻却事由に該当せず、責任阻却事由に該当しない場合のみ犯罪が成立する。

構成要件

構成要件とは、条文の解釈から導かれる犯罪の型のこと。たとえば殺人罪の条文は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」だが、この場合の構成要件は「人を殺す行為」となる。つまり、人を殺すと殺人罪の構成要件に該当する。

違法性阻却事由

違法性阻却事由とは、違法性がないとして処罰対象とならない事情のこと。たとえば、正当防衛や緊急避難が違法性阻却事由に該当する。次項で詳細を示す。

責任阻却事由

責任阻却事由とは、責任能力がないとして処罰対象とならない事情のこと。たとえば、心神喪失者や14歳未満の子供(刑事未成年者)による行為が責任阻却事由に該当する。

違法性阻却事由の種類

違法性阻却事由には、正当行為、正当防衛、緊急避難、自救行為、被害者の同意がある。

正当行為(刑法35条)

正当行為とは、法令上もしくは業務を行う上で必要な行為のこと。たとえば、消防の消火活動における住居侵入・破壊、死刑執行における殺人、司法解剖における死体損壊、外科手術における傷害、格闘技における暴行等の行為がこれにあたる。

教会で犯罪者を匿い、その後任意出頭させた行為が正当行為として認められた判例もある(牧会活動事件)。

正当防衛(刑法36条)

正当防衛とは、警察等に助けを求める余裕がなく緊急を要する状態においての違法な侵害(急迫不正の侵害)に対し、自己や他人の権利を守るためやむを得ずにとる行為のこと。たとえば、突然殴りかかってきた相手を突き飛ばす行為がこれにあたる。

但し、必要以上の反撃(過剰防衛)や勘違いによる防衛(誤想防衛)、またそれらが合わさった誤想過剰防衛が認められると違法性が阻却されない。イギリス人が勘違いで女性を助けようとして男性を殺した事件では、傷害致死罪が成立した(勘違い騎士道事件)。

緊急避難(刑法37条)

緊急避難とは、緊急の状態において自己や他人の権利や利益を守るためにやむを得ずにとる行為のこと。たとえば、海で遭難し二人で板につかまっている時、このままだと沈んでしまうために相手を板から引き剥がす行為がこれにあたる(カルネアデスの板)。

正当防衛との違いは、正当防衛は正と不の関係に対し、緊急避難は正と正の関係となるところにある。このように、緊急避難は不正を働いていない相手の権利を侵害する行為のため、正当防衛よりも制約が厳しい。

特に、他に手段がなかった(補充性をもつ)か、守ろうとした権利が犠牲にした権利よりも価値の高いものだったかについて検討される。遭難した船員が衰弱死した船員を食べた事件では、死体損壊罪が成立した(ひかりごけ事件)。

自救行為

自救行為とは、自己の権利が侵害された際に裁判等法的な手続きをせず、自らの力で権利を回復しようとする行為のこと。たとえば、泥棒に盗まれた物を後日被害者自らが奪い返す行為がこれにあたる。但し、自救行為が認められることは極めて少ない。

なぜなら、自救行為のような実力行使を認めると社会秩序が維持できなくなるため。そのため、盗まれた自転車を見つけてそのまま乗って帰ると窃盗罪となる。また正当防衛との違いは急迫性の有無となる。ひったくり犯からその場で奪い返す行為は正当防衛。

被害者の同意

被害者の同意とは、行為の前に被害者となる人物に承諾を得る行為のこと。たとえば、ピアスの穴あけを友人に頼まれて手伝う行為がこれにあたる。但し、被害者の承諾を得ても殺人における同意殺人罪(刑法202条)のように、別罪が存在するものもある。

また強制性交等罪(刑法177条)では、13歳未満の子供に対する性交が被害者の同意の有無にかかわらず認められていない。

海外の法律

善きサマリア人の法

善きサマリア人の法とは、災害や急病の人を救うためにとった善意の行為は、たとえ失敗したとしても責任を問われないという法のことアメリカやカナダで施行されている。

たとえば日本では、航空機内で急病人が出て航空会社からお医者様はいらっしゃいませんか(ドクターコール)とアナウンスがあった時、それに応じた医者が業務上過失致死傷罪に問われる可能性がある。但しその場合は緊急避難に該当する可能性が高い。 

海外の判例

1992年、アメリカでハロウィンのため仮装した日本人留学生が、訪問先を間違え家主に射殺された。被告は裁判で正当防衛を主張し無罪となった。

分離脳とは?わかりやすく5分で解説

分離脳とは、右脳と左脳の情報伝達を担う脳梁がない脳のこと

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背景

19世紀、脳の機能が部位ごとに分かれていると考える局在論と、全体で機能すると考える全体論が対立していた。1863年、フランスの外科医ブローカが言葉を理解するがうまく話せない障害(ブローカ失語)は、左脳の一部(ブローカ野)の損傷が原因と突き止めた。

1874年、ドイツの外科医ウェルニッケが、流暢に話せるが意味が通らない障害(ウェルニッケ失語)は、左脳の一部(ウェルニッケ野)の損傷が原因と突き止めた。これらの発見もあり局在論が優勢となり、ロボトミー等の脳神経外科手術の発展につながった。

このように脳の言語を扱う領域を言語野という。ちなみに左利きの人の3割ほどは言語野が右脳にあるといわれる。

脳梁離断術の誕生

1940年代、アメリカの外科医ワジネンらが投薬治療が困難なてんかん患者に対して、右脳と左脳の情報伝達を担う繊維(脳梁)を切断し、一定の効果を示した。このように脳梁がない脳を分離脳という。

当時ヒトにおいて、左半身は右脳、右半身は左脳で処理されること、また視界はそれぞれの目の右視野が左脳、左視野が右脳で処理されることが分かっていた。これは、神経が体を中心に交叉していることを意味し、前者を全交叉、後者を半交叉という。 

動物の分離脳実験

1950年代、アメリカの神経心理学者スペリーが分離脳ネコの実験を行った。実験ではネコの脳梁と、視神経の交叉を切り(左目は左脳、右目は右脳のみに繋がる)、右目をふさぎ左目(左脳)だけで図形を記憶させた。

その後、ネコの左目をふさぎ右目(右脳)だけ見えるようにした時、右脳が図形を記憶していないことを確認した。これは、視野と脳梁を操作することで右脳と左脳を独立して扱えることを意味する。

ヒトの分離脳実験

1960年以降、スペリーとその弟子でアメリカの神経心理学者ガザニガらが分離脳患者に対して様々な実験を行った。被験者の知能や言動は正常に見えるが、実験結果は興味深いものとなった。主な実験を以下に示す。

視覚実験

被験者にスクリーンの中心にあるマークを凝視させた。そこで、左右に離れて配置した電球を両方点滅させた。その後、被験者にどの電球が点滅したか質問すると、右の電球だけが点滅したと答えた。次に光った電球を指で指すように指示した。

すると、左右両方の電球を指した。この実験では、言語野が左脳にあるため脳梁が無いと左視野(右脳)の情報が言語化できないということが分かった。

触覚実験

被験者に見えないように右手にペンを置いた。その後、被験者に何を置いたか質問すると触覚を駆使してペンと答えることができた。次に、被験者に見えないように左手にペンを置いた。すると被験者は何が置かれたか分からないと答えた。

この実験では、言語野が左脳にあるため脳梁が無いと左手(右脳)の情報が言語化できないということが分かった。

複合実験

被験者の左視野(右脳)にだけ絵を見せた。 被験者は何が見えたか答えられない。そこで、被験者に絵と同じ物を触覚を頼りに左手で選ぶよう指示すると、選ぶことができた。また目を閉じて左手で絵と同じ物を書くよう指示すると、書くこともできた。

しかし被験者に、なぜその物を選んだのか、なぜその絵を描いたのか聞いても、分からないと答えた。この実験では、分離脳患者の右脳と左脳は独立して処理されていると分かった。

連想実験1

被験者の左視野(右脳)に雪景色、右視野(左脳)に鶏の足の絵を見せた。その後、見た絵に関係する絵を選ぶよう指示すると、左手でスコップ、右手で鶏を選んだ。そこで、被験者になぜスコップを選んだのか質問すると、鶏小屋で片付けに使用するためと答えた。

実際には、左手(右脳)は雪かきに使用するためにスコップを選択したと思われる。他には、被験者の左視野(右脳)に歩けと指示し、歩き出したときに何故歩いているか質問した。すると、被験者はのどが渇いたからと答えた。

この実験では、左脳は自身の行動を辻褄が合うように解釈することが分かった。

連想実験2

被験者に中身の見えない袋から、サルの果物を左手で選ぶよう指示した。すると被験者はバナナを選んだ。次にサンキスト(オレンジで有名なブランド)の果物を左手で選ぶよう指示した。すると被験者はオレンジを選んだ。

この実験では、右脳にも言語を理解する機能があることが分かった。

P.Sの実験

分離脳患者P.Sの左視野(右脳)にだけ、やりたい仕事は何かという質問を見せた。するとP.Sは左手でカーレースと書いた。しかし彼は普段製図工になりたいと言っていた。この違いは、物の好き嫌いの度合いを尋ねるといった他の質問でも確認された。

この実験では、右脳と左脳の意識が異なることが分かった。

その他 

1981年、スペリーが大脳半球の機能分化に関する研究でノーベル賞を受賞した。

10.19とは?わかりやすく5分で解説

10.19とは、1988年10月19日にダブルヘッダーで行われたプロ野球パリーグ優勝チームが決まるロッテオリオンズ近鉄バファローズの試合のこと

結果は近鉄の1勝1分で西武の優勝となった。 

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背景

1988年、パリーグ3連覇中の西武がシーズン序盤から首位を独走していた。一方近鉄は6月に主力選手のデービスが大麻所持で逮捕され、急遽外国人選手の補充が必要となった。そこで仰木監督らは中日の二軍にいたブライアントを獲得した。

近鉄はブライアントの活躍もあり、最大8ゲームあった西武とのゲーム差を0.5まで縮めた。これにより、10月19日ロッテとのダブルヘッダー近鉄が2連勝すれば逆転優勝することになった。一方ロッテは最下位が確定し対近鉄8連敗中だった。

1988年の日本シリーズは10月22日から始まるため、近鉄は10月19日までに15連戦という過密スケジュールで試合を消化する必要があった。これは、当時ドーム球場がほとんどなく雨天中止が多かったため。

第1試合

川崎球場

近 000 010 021 | 4 投:小野-吉井-阿波野

ロ 200 000 100 | 3 投:小川-牛島

1回裏

1番西村がヒットで出塁すると、3番愛甲の2ランホームランで2点を先制した。

近0-2ロ

5回表

6番鈴木のソロホームランで1点を返した。

近1-2ロ

7回裏

7番古川が四球で出塁すると、8番斉藤が犠打で送り1番西村が四球で出塁、2番佐藤健タイムリーヒットで1点を追加した。

近1-ロ3

8回表

6番鈴木がヒットで出塁し7番吹石の代打加藤正が四球で出塁、8番山下の代打村上のタイムリーヒットで2点を返し同点とした。

近3-3ロ

9回表

当時のパリーグ規定では、ダブルヘッダー第1試合は延長無しのため、近鉄優勝には絶対に得点が必要だった。5番淡口がヒットで出塁し代走に佐藤を出した際、ロッテは小川に代わってリリーフエース牛島を投入した。

その後6番鈴木ヒットの際に佐藤がホームと3塁に挟まれアウトとなったが、7番加藤正の代打でこの年引退する梨田がタイムリーヒットを打ち1点勝ち越した

近4-3ロ

9回裏

8番袴田の代打丸山が四球で出塁した際、近鉄は8回から登板している吉井に代わって2日前に完投したエース阿波野を投入した。その後9番水上の代打山本がヒット性の当たりを打ったがランナー丸山がセカンド大石と交錯し守備妨害でアウトとなった。

この判定に有藤監督が抗議したが覆らず、その後2番佐藤健がヒットで出塁し、3番愛甲が四球で出塁、2死満塁となったが守りきり試合終了となった。

第2試合

川崎球場

近 000 001 210 0| 4 投:高柳-吉井-阿波野-加藤哲-木下

ロ 010 000 210 0| 4 投:園川-荘-仁科-関

1回裏

第1試合で4安打の2番佐藤健死球を受けた。その際なかなか出塁しない佐藤健に対し、仰木監督が謝りもせずに痛いなら代われと発言した。

2回裏

5番マドロックのソロホームランで1点を先制した。

近0-1ロ

6回表

9番真喜志が微妙な判定で三振となるとコーチ陣が主審に詰め寄ったが、すぐに時間が惜しいと引き下がった。その後1番大石がヒットで出塁すると、2番新井が犠打で送り3番ブライアントが四球で出塁、4番オグリビーのタイムリーヒットで同点とした。

近1-1ロ

7回表

7番吹石のソロホームランで1点勝ち越し、さらに9番真喜志のソロホームランで差を広げた。

近3-1ロ

7回裏

6番岡部がソロホームランで1点を返し7番古川がヒットで出塁した際、近鉄は先発の高柳に代わって吉井を投入した。その後8番袴田が犠打で送り、1番西村のタイムリーヒットで同点とした。

近3-3ロ

8回表

3番ブライアントのソロホームランで1点を取った。

近4-3ロ

8回裏

近鉄は吉井に代わって第1試合に続き阿波野を投入した。4番高沢が阿波野の決め球スクリューをとらえ、ソロホームランで再び同点とした。

近4-4ロ

9回表

1番大石がツーベースヒットで出塁し、2番新井が三塁線へ強い当たりを打ったがサード水上のファインプレーに阻まれた。この時朝日放送のアナウンサー安部憲幸が、This is プロ野球という名実況を残している。

9回裏

7番古川と8番袴田が連続ヒットで出塁し、9番水上の打席となった。その際、阿波野の牽制球でランナー古川がアウトになった。この判定に有藤監督が抗議し試合が9分間中断されたが覆らなかった。

10回表

3番ブライアントがピッチャー関のエラーで出塁したが、後続が倒れ無得点となった。

10回裏

近鉄がロッテの攻撃を守りきった。当時のパリーグ規定では、試合開始から4時間経ったイニングで延長打ち切りとなるため、10回で試合終了となり西武の優勝が決まった。

その他

翌1989年は近鉄がリーグ優勝を果たした。2004年、第1戦に先発したロッテの小川が強盗殺人事件を起こした。

金本位制とは?わかりやすく5分で解説

金本位制とは、金保有量を基準に通貨供給量を決める制度のこと

20世紀に廃れた制度で、現在採用している国はない。

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物々交換経済から貨幣経済

古代の経済は、物々交換によって行われていたとされる。物々交換は、お互いの欲求が一致(欲求の二重の一致)しなけば成立しないという問題があった。たとえば自分の魚を斧と交換したい場合は、自分の斧と魚を交換したい人を探す必要がある。

そこで物品貨幣が登場した。 物品貨幣とは塩や布、穀物、貝殻等それ自体に価値があるもので、商品の交換を仲介する。一旦商品を物品貨幣に変えることで、欲求の二重の一致は不要となり、やがてより劣化に強く価値が安定している金属貨幣が生まれた。

金属貨幣の登場

金属貨幣には金貨や銀貨等がある。これらは貴重なため価値が安定するが、資源の不足により貨幣の生産が滞ることで経済活動を妨げたり、重いという問題があった。そこで、軽く発行が容易で金や銀等との交換が保証された兌換(だかん)紙幣が生まれた。

金本位制の誕生

1816年、イギリスで金本位制が成立しその後世界に広まった。金本位制とは、金保有量を基準に通貨供給量を決める制度のこと。この制度で発行される兌換紙幣は、各国が定めた比率で金との交換を保証しているため、金保有量に依存し自由に発行できない

金本位制は、金を基準に各国の通貨の交換比率を固定する固定相場制のため、為替相場が安定し貿易が促進される。しかし輸入超過時は他国へ金が支払われ、金融不安時は紙幣が金へ交換されることで通貨供給量が減り、物価下落(デフレ)をまねく恐れがある

金本位制の中断

1914年以降、第一次世界大戦(WW1)の輸入超過による金の流出を防ぐため、各国で金本位制が停止(金への交換や金輸出の禁止)され管理通貨制度となった。管理通貨制度とは、自国の通貨供給量を通貨当局が管理、調整する制度のこと。

この制度で発行される紙幣を不換紙幣といい、金に交換できないが人為的に発行量を決めることができる。たとえばデフレは、通貨供給量を増やすことで脱却が図れる。しかし通貨を発行しすぎると極端な物価上昇(ハイパーインフレ)をまねく恐れがある

世界恐慌の発生

1919年、アメリカが金本位制を復活し、1925年イギリスも続いた。この際イギリスでは、産業が衰退しているにもかかわらず、実体経済とは異なるWW1前の通貨価値(旧平価)で復活させたため、ドル安ポンド高となりイギリスの金がアメリカに流出した

1929年、アメリカで株価が暴落(ウォール街大暴落)し世界恐慌が始まった。これを受けイギリスは、ドイツからの戦後賠償金が回収不可となり金融不安に陥った。するとイギリスの信用が落ち各国のポンドが金と交換され、さらにイギリスの金が流出した

1930年、アメリカが自国の産業を保護するために関税を引き上げた(スムートホーリー法)。1931年、スムートホーリー法による輸出の減少を防ぐため、イギリスが金本位制を停止し管理通貨制度となり、ポンドを発行しポンドの価値が下げた(平価切り下げ)。

第2次世界大戦の勃発

1930年代、世界で金本位制の停止と平価切り下げ(通貨安競争)が行われたことで為替相場が不安定となり貿易が減少した。これを受け各国は、市場確保のため植民地や同じ通貨の国同士で経済圏(ブロック経済)を作り、他国を排除した。

1939年、第2次世界大戦(WW2)が勃発した。WW2勃発の経済的な要因は、資源や植民地の少ないドイツ、イタリア、日本等が市場を確保できず植民地拡大を図ったため。

ブレトンウッズ体制の確立

WW2後、連合国は国際機関の設立によって為替相場の安定を試みた。1944年、連合国が締結したブレトンウッズ協定により、国際通貨基金(IMF)と世界銀行(IBRD)が設立しブレトンウッズ体制(金ドル本位制)が確立した。

金ドル本位制とは、金と交換できるドルを基準(基軸通貨)に各国の通貨の交換比率を固定する固定相場制のこと。固定相場維持のためには、協定加盟国の通貨当局が為替介入を続ける必要がある。つまり、アメリカ以外の加盟国は同時に管理通貨制度を敷いた。

管理通貨制度への移行

1960年代、アメリカではベトナム戦争等による軍事費の増大や、他国の復興による貿易黒字の減少のためドルの信用が低下し、ドルを金に交換する要求が増大した(ドル危機)。このドル危機により金ドル本位制の維持が困難になった

1971年、アメリカの大統領ニクソン金本位制の停止を宣言した(ニクソンショック)。これにより、アメリカは管理通貨制度へ移行したが固定相場制は維持した。1973年、キングストン合意により、主要先進国が固定相場制から現代の変動相場制に移行した。