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行動主義心理学とは?わかりやすく5分で解説

行動主義心理学とは、アメリカの心理学者ワトソンが提唱した、心理学を行動から研究する学派のこと

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背景

19世紀後半から20世紀初頭、イギリスの心理学者ティチナーが構成主義心理学を確立した。構成主義心理学とは、心(意識)を単純な構成要素から解明する立場のこと。これに対し20世紀前半、アメリカの心理学者ジェームズらが機能主義心理学を確立した。

機能主義心理学とは、進化論を背景に心を記憶や注意といった機能から解明する立場のこと。構成主義心理学は心の構造に着目するのに対し、機能主義心理学は心の存在理由に着目する。両者は実験にしばしば被験者の報告を必要とした。

報告は主観的な性質を持つため科学的な分析に向かず、また言語を扱えない幼児やある種の障がい者、動物等に適用することもできなかった。

動物心理学の勃興

猫の問題箱

1898年、アメリカの心理学者ソーンダイクが、試行錯誤学習の実験を行った。試行錯誤学習とは、試行の繰り返しで問題解決時間が減少する現象のこと。彼は、紐を引くと扉が開く箱に猫を入れ、箱外の餌をとる時間を試行の繰り返しにより減少させた。

パブロフの犬

1903年、ロシアの生理学者パブロフが条件反射を発見した。条件反射とは、特定の反応を起こす刺激と同時に無関係な刺激を与え続けると、やがて無関係な刺激で特定の反応が起こる現象のこと。彼は犬に餌とブザー音を与え続け、ブザー音で唾液を出させた。

行動主義心理学の誕生

1912年、アメリカの心理学者ワトソンがパブロフの実験に影響を受け、行動主義心理学を創始した。行動主義心理学とは、心を客観的に観測できる行動から解明する立場のこと。彼は、特定の刺激(S)には特定の反応(R)が結びつくと考えた(S-R理論)。

1920年、ワトソンが生後11ヶ月の幼児アルバートに対し恐怖条件づけ実験を行った。実験では、幼児がネズミに触ろうとした時に、幼児が怖がるほど大きい音を鳴らした。これにより、幼児はネズミを見ただけで怖がり泣き出すようになった。

ワトソンは、行動が先天的でなく後天的な影響を強く受けると考えた。これを環境主義という。しかし、内的要因(心の影響等)を無視し行動のすべてを刺激と反応の因果関係で説明するS-R理論は、同一の刺激から異なる反応が起こる現象を説明できなかった

行動主義心理学の登場

1927年、アメリカの物理学者ブリッジマンが、著書現代物理学の論理で操作主義を唱えた。操作主義とは、曖昧な概念の定義を具体的な観測方法によって与えるという考えのこと。たとえば安静は、脳波におけるα波の割合が高い状態と定義できる(操作的定義)。

これにより、内的要因が科学的な観測を用いて客観的に扱えるようになった。こうした考えをもとに1930年代、アメリカの心理学者トールマン、ハル、スキナーらによって新行動主義心理学が登場した。

トールマンとハルは、刺激(S)と反応(R)の結びつきに内的要因を表す有機体(O)が影響を与えると考えた(S-O-R理論)。この考えは、1960年代以降に起きた感覚や知覚、認知を扱う学問、認知心理学の成立につながった。

スキナーの徹底的行動主義

1938年、スキナーが著書生体の行動でパブロフの条件反射を古典的条件づけ(レスポンデント条件づけ)、ソーンダイクの試行錯誤学習をオペラント条件づけ(道具的条件づけ)として区別し再定式化した。彼は行動が2種類の条件づけで形成・制御されるとした。

これは、行動の原因が環境によるという考えに基づく(徹底的行動主義)。徹底的行動主義では、内的要因をS-O-R理論のように分離せず行動の一部として扱う。また彼は20世紀で最も影響力のある心理学者といわれる。

古典的条件づけ

唾液やまばたき等の生得的な反射と結びつく、条件反射によって受動的な行動を学習すること。 たとえば、催吐剤を飲ませタバコの臭いをかがせ続けると、タバコの臭いで吐き気を催し禁煙できるようになる(嫌悪療法)。

オペラント条件づけ

餌や電気ショック等の報酬や罰によって能動的な行動を学習すること。その方法について試行錯誤学習との違いは、実験者が猫を箱に戻すといった介入を必要とせず連続で行えること。オペラント条件づけの研究に用いる実験装置としてスキナー箱がある。

スキナー箱は、レバーを押すと餌(報酬)がでる仕掛けになっている。スキナー箱の中に空腹のネズミを入れると、初めは仕掛けに気づかないが、そのうち偶然レバーに触れ餌を得る。これが繰り返され最終的にネズミは能動的にレバーを引くようになる。

この時、レバーを引く頻度を高めるための餌を好子(低める場合は嫌子)、頻度の高まりを強化(低まりの場合は弱化)という。つまり、ネズミの行動は満足感等の内的要因ではなく環境による強化/弱化で説明できる。この行動の仕組みを強化の随伴性という。

総合説とは?わかりやすく5分で解説

総合説とは、自然選択説をベースに遺伝学や隔離、突然変異等、様々な考えを統合した現代の進化論のこと

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背景

1859年、イギリスの博物学ダーウィンが、著書種の起源自然選択説を唱えた。自然選択説とは、生存競争によって生存に有利な変異の保存と不利な変異の排除が繰り返され、生物が徐々に変化(漸進的進化)するという説。

しかし自然選択説に基づく彼の理論(ダーウィニズム)は、種が変わる大きな変化(種分化)や遺伝、変異の仕組みを十分に説明できていなかった。一般に種とは、交配によって繁殖できる集団をいう。

種分化の仕組み

1868年、ドイツの博物学者ワグナーが隔離説を唱えた。隔離説とは、何らかの理由で集団が分断され交流しなくなることで、進化が進み種分化が起きるという説。今日、この隔離が種分化の主な要因と考えられている。

遺伝学の誕生

1868年、ダーウィンは著書飼養動植物の変異でパンゲン説を唱えた。パンゲン説とは、後天的に獲得した形質(外観や経験、能力等)が子に遺伝するという説。彼は、パンゲン説(獲得形質の遺伝)で遺伝の仕組みを説明した。

1883年、ドイツの動物学者ヴァイスマンが生殖質連続説を唱えた。生殖質連続説とは、生殖細胞の持つ情報のみが次代に遺伝するという説。彼は進化が自然選択説のみで説明でき獲得形質は遺伝しないと主張した。この考えをネオダーウィニズムという。

1900年、オランダの植物学者ド・フリースらによって、チェコの司祭メンデルが発見した遺伝の仕組み(メンデルの法則)が再発見された。当初、不連続な進化に見えるメンデルの法則と、漸進的進化の自然選択説は相容れないものと思われていた。

遺伝の仕組み

一般的な生物は遺伝子をペアで持つ。これは両親が自身の遺伝子の半分ずつを子に渡すためで、それぞれを対立遺伝子と呼ぶ。たとえばヒトの血液型はA、B、Oの3つの対立遺伝子によってAAとAOはA型、BBとBOはB型、ABはAB型、OOはO型に分類される。

また対立遺伝子の組み合わせ(AA等)を遺伝子型、発現する形質(A型等)を表現型、異なる遺伝子型(AO等)をヘテロ接合体、同じ遺伝子型(AA等)をホモ接合体という。メンデルは遺伝研究の先駆者で、メンデルの法則として以下3つの法則を示した。

優性の法則

ヘテロ接合体において、必ず一方の形質が発現する法則のこと。たとえば血液型では、AとOのヘテロ接合体(AO)は必ずA型になる。この時のAを優性遺伝子、Oを劣性遺伝子という。しかしAとBには優劣がなく例外的にAB型となる。この関係を共優性という。

分離の法則

対立遺伝子が融合せず分離して遺伝する法則のこと。たとえば血液型では、AOとBOの遺伝子型を持つ両親からは、親の世代では発現しなかったOOの子が1/4の確率で生まれる。このように、劣性遺伝子であっても融合されることはなく分離して伝わる。

独立の法則

2つ以上の異なる形質を発現する遺伝子同士が、互いに独立し影響を受けない法則のこと。たとえば、人種等の影響を無視すればA型の人に金髪が多いということはない。

変異の仕組み

1901年、ド・フリースが突然に表現型の異なる変異が起こること(突然変異)を発見し、突然変異説を唱えた。突然変異説とは、突然変異によって急激に種分化するほど大きな変化が起こるという説。このような突然大きく進化するという考えを跳躍説という。

アメリカの遺伝学者モーガンは、キイロショウジョウバエを用いて突然変異を研究した。その結果、種分化を引き起こすことは極めて少ないが、突然変異が自然選択説の変異が起こる仕組みを説明できると考えられるようになった。

集団遺伝学の誕生

1930年代、イギリスの遺伝学者フィッシャーらによって集団遺伝学が誕生した。集団遺伝学とは、集団内での遺伝を確率や統計等数学の理論を用いて明らかにする学問のこと。この学問により、対立関係にあったメンデルの遺伝学と自然選択説が統合された

総合説の成立

集団遺伝学の発展に伴い初期の総合説が成立した。初期の総合説とは、突然変異により生じた変異が自然選択により種内に広まり固定され、隔離により種分化が起こるという説。

その後の発展

1968年、日本の集団遺伝学者木村資生が中立進化説を唱えた。中立進化説とは、生存に有利でも不利でもない突然変異の蓄積が進化の原動力になるという説。この理論の特徴は、突然変異が自然選択ではなく偶然に集団内に広まり固定されるという点にある。

この偶然性のある遺伝子の割合(遺伝子頻度)の変動を遺伝的浮動という。遺伝的浮動は小集団ほど促進される。たとえば、アメリカ先住民の血液型にはO型が多い。これは、アメリカ大陸に渡った集団が少数で遺伝的浮動が促進されたためと考えられる。

今日の総合説は、遺伝的浮動や中立進化説も統合しさらなる発展を遂げている

共観福音書問題とは?わかりやすく5分で解説

共観福音書問題とは、新約聖書の3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の内容に共通点が多く、それぞれどのように成立したのかという問題のこと

現在に至るまで解決されていない問題。

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背景

1~2世紀頃、キリスト教聖典新約聖書が成立した。 新約聖書は27の書物からなり、特にイエスの生涯や教えを記したマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書が重視される。福音とは良い知らせという意味。

1776年、ドイツの聖書学者グリースバッハは内容に共通点の多いマタイ、マルコ、ルカの福音書の対照表(シノプシス)を発表した。これを機に3つの福音書は共観福音書と呼ばれ、起源や成立順の議論が進んだ。以下に代表的な仮説を示す。

マルコ優先

二資料説(Q資料&マルコ→マタイ&ルカ)

ドイツの神学者ヴァイスが主張した、イエスの語録集(Q資料)とマルコをもとにマタイとルカが書かれたという仮説。現在主流の考え。しかし、マルコの記述と一致せずマタイとルカで記述が一致する点(小一致問題)が不自然と指摘されている。

小一致問題の解決策として、マルコの福音書の原典に原マルコの福音書があり、マタイとルカは原マルコの福音書をもとに書かれたとする原マルコ説がある。しかし、Q資料と原マルコの福音書が見つかっていない点が指摘されている。

ファラー説(マルコ→マタイ→ルカ)

イギリスの神学者ファラーが主張した、マルコをもとにマタイが書かれ、マルコとマタイをもとにルカが書かれたという仮説。しかし、ルカがマタイよりも古い言い回しを用いている点が不自然と指摘されている。

三資料説(Q資料→マルコ→マタイ→ルカ)

ドイツの神学者ホルツマンが主張した、Q資料とマルコをもとにマタイが書かれ、Q資料とマルコとマタイをもとにルカが書かれたという仮説。Q資料をもとにマルコが書かれた可能性も含める。しかし、Q資料が見つかっていない点が指摘されている。

ウィルケ説(マルコ→ルカ→マタイ)

ドイツの神学者ウィルケが主張した、マルコをもとにルカが書かれ、マルコとルカをもとにマタイが書かれたという仮説。しかし、ルカがマルコの記述の一部をまるごと省略している点が不自然と指摘されている。

四資料説(M&Q資料&マルコ→マタイ、L&Q&マルコ→ルカ)

イギリスの聖書学者ストリーターが主張した、 マタイ独自の資料(M)とQ資料とマルコをもとにマタイが書かれ、ルカ独自の資料(L)とQ資料とマルコをもとにルカが書かれたという仮説。しかし、Q資料とMとLが見つかっていない点が指摘されている。

マタイ優先

アウグスティヌス説(マタイ→マルコ→ルカ)

アルジェリア神学者アウグスティヌスが主張した、マタイをもとにマルコが書かれ、マタイとマルコをもとにルカが書かれたという仮説。最初期の考え。しかし、マルコがマタイの重要な記述を省略している点が不自然と指摘されている。

グリースバッハ説(マタイ→ルカ→マルコ)

ドイツの聖書学者グリースバッハが主張した、マタイをもとにルカが書かれ、マタイとルカをもとにマルコが書かれたという仮説。しかし、マタイとルカでイエスの誕生や復活の記述に違いがある点が不自然と指摘されている。

ルカ優先

エルサレム学派説(A→R→ルカ→マルコ→マタイ)

イスラエルの聖書学者リンジーが主張した、 ヘブライ語の原典からギリシア語に直訳した短編集(A)をもとにAの時系列を整えたRが書かれ、AとRをもとにルカが書かれ、Aとルカをもとにマルコが書かれ、Aとマルコをもとにマタイが書かれたという仮説。

しかし、ヘブライ語の原典とAとRが見つかっていない点が指摘されている。

独立

福音書説(原典→マタイ&マルコ&ルカ)

ドイツの思想家レッシングや神学者アイヒホルンが主張した、1つの原典をもとにそれぞれが独自に書かれたという仮説。しかし、原典が見つかっていない点や、それぞれに独自の記述がある点、互いに矛盾する記述がある点が不自然と指摘されている。

断片説(メモ→マタイ&マルコ&ルカ)

ドイツの神学者シュライアマハーが主張した、イエスの弟子たちが残したメモ書きをもとにそれぞれが独自に書かれたという仮説。しかし、記述の順序まで一致する点が不自然と指摘されている。

伝承説(伝承→マタイ&マルコ&ルカ)

ドイツの神学者ヘルダーやギーセラーが主張した、口頭伝承をもとにそれぞれが独自に書かれたという仮説。しかし、記述に一字一句同じ箇所がある点が不自然と指摘されている。

マルチソース仮説(原典→改定A&Q→マタイ、P→改定A&改定B→マルコ、P→改定B&Q→ルカ)

イギリス国教会の司教マーシュが主張した、原典を改定した2つの文書(改定Aと改定B)をもとにマルコが書かれ、改定Aと改定BとQ資料をもとにマタイとルカが書かれたという仮説。しかし、原典が見つかっていない点が指摘されている。

バイオミメティクスとは?わかりやすく5分で解説

バイオミメティクスとは、生物の持つ構造や機能を模倣し応用する技術のこと。生物模倣、バイオミミクリーともいう。

生物模倣の試みは古くから存在する。たとえば航空機発明以前の人類は、鳥を模倣し羽ばたいて飛ぼうとした。1990年頃から、電子顕微鏡ナノテクノロジーが発展し、生物の微細な構造の解明や再現が可能になった。主な事例を以下に示す。

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動物

フナクイムシ

1800年代初頭、フランスの技術者ブルネルが、掘り進んだ穴が塞がらないためにフナクイムシが分泌液でトンネルの壁を固める習性を模倣し、軟弱地盤でもトンネルを掘り進めることのできる工法(シールド工法)を開発した。

イカ

1934年、アメリカの神経生理学者シュミットが、イカの神経信号の伝達の仕組みを模倣し、ノイズ除去に利用できる電子回路(シュミットトリガ)を開発した。また彼は、バイオミメティクスの概念を生み出した。

1935年、化学メーカーのデュポンが、蚕の繭糸を模倣し化学繊維(ナイロン)を開発した。1964年、化学メーカーの東レが、蚕の繭糸の断面形状を模倣しシルク光沢を持つ素材(シルック)を開発した。

カミキリムシ

1947年、アメリカの発明家コックスが、カミキリムシ幼虫が顎を左右に動かし切り株を掘り進める習性を模倣し、チェーンソーの刃(ソーチェーン)を発明した。

1965年、繊維メーカーのクラレが、牛の革を模倣し人工皮革(クラリーノ)を開発した。

タツムリ

1991年、建材メーカーのINAXが、カタツムリの殻表面にある微細構造を模倣し、外壁やシンク、トイレの汚れ付着を防ぐ建材(マイクロガード等)を開発した。

1984年、繊維メーカーのクラレが、モルフォチョウの翅の発色を模倣し、染色することなく構造で発色する繊維(構造発色繊維デフォール)を開発した。

フクロウ

1997年、鉄道会社のJR西日本が、フクロウの羽根の突起形状(セレーション、またはボルテックスジェネレーター)を模倣し、風切り音を減らす500系新幹線のパンタグラフを開発した。

カワセミ

1997年、鉄道会社のJR西日本が、カワセミのくちばしを模倣しトンネル騒音(トンネルドン)を減らす500系新幹線の先頭車両を開発した。2004年、スポーツメーカーのデサントが、カワセミの羽根を模倣し水の抵抗を減らす水着(エールブルー)を開発した。

クジラ

2000年代、機械メーカーのホエールパワーが、ザトウクジラの胸ビレ前縁のこぶを模倣し、高効率の風力発電機用タービンブレードを開発した。

サメ

2000年、スポーツメーカーのミズノと水着メーカーのSPEEDOが、サメの皮膚にある微細構造(サメ肌、リブレット)を模倣し、水の抵抗を減らす水着(Fastskin)を共同開発した。

マグロ

2007年、塗料メーカーの日本ペイントマリンが、マグロの皮膚表面にある粘膜を模倣し、水の抵抗を減らす船底塗料(LF-Sea)を開発した。

カジキマグロ

2008年、スポーツメーカーのミズノが、カジキマグロの皮膚表面にある粘膜を模倣し、水の抵抗を減らす水着(WATERGENE)を開発した。

2012年、化学メーカーの三菱レイヨンが、光を反射せず隠れるために蛾の眼の表面にある微細構造を模倣し、反射や映り込みを防ぐフィルム(モスマイト)を開発した。

ヤモリ

2012年、化学メーカーの日東電工が、壁に貼りつくためにヤモリの指にある微細な毛を模倣し、温度変化に強く粘着力が強く簡単にはがせるテープ(ヤモリテープ)を開発した。

2012年、医療機器メーカーのライトニックスが、蚊の針を模倣し痛みの感じにくい採血針(ピンニックスライト)を開発した。

ネコ

2013年、電機メーカーのシャープが、ネコの舌の突起を模倣しゴミの圧縮性能を向上した掃除機(EC-VX500)を開発した。

クモ

2013年、バイオベンチャー企業のスパイバーが、クモの糸を模倣し高い強度と伸縮性を持つ糸(QMONOS)を開発した。

植物

1991年、スイスの化学者グレッツェルが、植物の光合成の原理を模倣し、光のエネルギーを色素を使った反応によって電気に変える電池(色素増感太陽電池)を発明した。

ゴボウ

1941年、スイスの電気技師メストラルが、服についていたゴボウの種を顕微鏡で調べ、種の先がフック状になっていることを発見した。1951年、彼は面ファスナー(マジックテープ)の特許を出願した。

1977年、ドイツの植物学者バルトロットが、蓮の葉表面の微細構造と分泌物により水滴をはじき、葉表面のゴミを洗い流す自浄機能(ロータス効果)を発見した。1983年、繊維メーカーの帝人が、高い撥水性を持つ織物(マイクロフトレクタス)を開発した。

カエデ

2010年、航空機メーカーのロッキードマーティンが、カエデの種を模倣し羽根が一枚の小型ドローン(Samarai)を開発した。

0系新幹線とは?わかりやすく5分で解説

0系新幹線とは、日本の国鉄が開発した世界初の高速鉄道の初代車両のこと高速鉄道とは、200km/h以上で走行できる鉄道を指す。

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背景 

1937年、日中戦争の勃発により日本から大陸への輸送需要が増加したことで、東海道本線山陽本線の輸送力が限界に近づいた。そこで1939年、輸送力拡大のために弾丸列車計画が始まった。

これは当時東京-大阪間が列車で8時間かかっていたものを、200km/hの列車で4時間30分で結ぶ計画だった。1940年、用地買収とトンネル工事が開始されたが、1943年太平洋戦争の戦況悪化のため計画は中断された。

戦後の動き

戦後日本では航空機産業が禁止され、多くの優秀な技術者が自動車産業や鉄道産業に流入した。このことで、航空機の軽くて強い機体構造(モノコック構造)の設計技術や、振動に関する理論が鉄道業界にもたらされた。

しかし当時は将来的に自動車と航空機の時代となり、鉄道が縮小する考え(鉄道斜陽論)が国鉄内部にもあった。また国鉄の予算は毎年国会で決めるため、弾丸列車計画のように突然中止されるリスクがあった。そのため国鉄は長期的な計画に消極的だった

鉄道技術研究所の講演会

1957年、国鉄の研究機関の鉄道技術研究所が、創立50周年の記念講演会を東京-大阪間3時間への可能性というテーマで開催した。当日会場は満員の大盛況で、メディアも好意的に報道した。講演会の題目と主な内容を以下に示す。

所長挨拶

鉄道技術研究所所長の篠原武司が、高速安定性確保と距離短縮のため標準軌による新線を建設すれば、技術的には東京-大阪間3時間は可能と述べた。標準軌とは、レールの幅間隔(ゲージ)が1,435mmの線路のこと。日本では1,067mmの狭軌が主流となっている。

車両について

海軍出身の三木忠直が、空気抵抗の少ない流線型かつ低重心で軽量な車体加減速の効率が高く線路への負担も少ない各車両が動力を持つ方式(動力分散方式)を提案した。動力分散方式の反対が、動力車が客車をけん引・推進する動力集中方式となる。

線路について

生え抜きの鉄道技術者の星野陽一が、線路の防振対策としてコンクリート製の軌道(スラブ軌道)を提案した。軌道とはレールや土台(道床)等のこと。軌道の振動はレールの支えにクッション性を持たせ、道床をコンクリート製で重くすることで改善されるとした。

乗り心地と安全について

海軍出身の松平精が、車体の振動を抑えるための継ぎ目のない長尺レールと、空気ばねを使用した台車を提案した。彼は乗り心地の悪化や脱線につながる、高速走行時に車両が左右にうねる現象(蛇行動)の原因を、レール由来でなく台車由来と突き止めた。

信号保安について

陸軍出身の河邊一が、車内に設けた進路の制限速度を示す信号機に従い、自動で制限速度以下に減速する自動列車制御装置(ATC)を提案した。ATCは、高速化により視認が困難になる地上信号機の代わりとなる。

新幹線計画の開始

標準軌新線に意欲的だった国鉄総裁十河信二は、計画実現のため政治家に働きかけた。1958年、運輸省が設置した日本国有鉄道幹線調査会が標準軌新線建設の答申を出し、新幹線建設計画が開始した。しかし、国会の承認を得やすいよう予算は低く設定された。

1959年、十河は大蔵大臣の佐藤栄作から世界銀行借款のアイデアを得た。これは、世界銀行を巻き込むことにより政府に事業完成の義務を生じさせ、追加予算を承認させる目的だった。1961年、世界銀行から8000万ドルの融資を受けた。

また建設については、弾丸列車計画時に取得した土地やトンネルを活用した。

新幹線の開発

新幹線の主な開発は、ほぼ講演会の提案のとおりに進められた。その他、運行システムに列車集中制御装置(CTC)が取りいれられた。CTCはスムーズな運行と人件費削減を図るため、列車の運行情報を総合指令室で管理し運転手に指示を行うシステムのこと。

また当時日本の鉄道は、非常ブレーキをかけてから600m以内に停止しなければならない規則があった(600m条項)。そのためブレーキには、抵抗板の展開・パラシュートを用いた空力ブレーキや、水を流した線路に抵抗板を入れる水圧ブレーキ等が検討された。

しかしどれもうまくいかなかった。そのため立体交差により全ての踏切をなくし、線路脇に侵入防止の防護柵を設けることで、特例で600m条項の例外とした。さらに先頭車両の床下には、線路上の障害物をはじくための排障器(スカート)が設けられた。

新幹線開業と世界の反応

1963年、試験車両が当時の世界記録256km/hを記録し、翌1964年に東海道新幹線が開業した。1965年、東京-大阪間が目標の3時間10分で結ばれた。新幹線の成功は高速鉄道の可能性を示し、その後フランスのTGVやドイツのICE等、世界で高速鉄道が誕生した。 

南極条約体制とは?わかりやすく5分で解説

南極条約体制とは、南極条約を初めとする南極地域の国際的な取り決めのこと

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背景 

19世紀初頭、南極付近でアザラシやクジラ猟が盛んに行われるようになった。1820年、人類が南極大陸を発見し、以降各国による南極の探検と領土権の主張が始まった。南極の一部を自国の領土と主張する国をクレイマントという。

レイマントには、アルゼンチン、イギリス、オーストラリア、ノルウェー、フランス等がある。反対に自他国ともに南極の領土権を認めない国をノンクレイマントという。ノンクレイマントには、アメリカ、日本、ベルギー、南アフリカ、ロシア等がある。

領土権の主張は国際紛争に発展する恐れがあり、対策を講じる必要があった。一方1882年8月から1883年8月の間に、各国が協力し北極付近で様々な観測が行われた。この1年を第1回国際極年という。この活動により極地における国際協力の機運が高まった

南極条約の採択

1959年、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、オーストラリア、チリ、日本、ニュージーランドノルウェー、フランス、ベルギー、南アフリカ、ロシア(当時ソ連)の12ヶ国によって南極地域の利用ルールを定めた南極条約が採択、1961年に発行された。

南極条約の主な内容には、利用は平和目的に限定(第1条)、科学調査の自由(第2条)、領土権主張の凍結(第4条)、核爆発や放射性廃棄物の処分禁止(第5条)、定期的な会合の開催(第9条)がある。南極条約は、1966年に採択された宇宙条約にも影響を与えた。

南極条約体制の確立

南極条約第9条の具体化が南極条約協議国会議(ATCM)となる。ATCMによって、南極のあざらしの保存に関する条約や、南極の海洋生物資源の保存に関する条約等が採択された。これら南極に関する条約、議定書、勧告等の枠組みを南極条約体制という

環境保護に関する南極条約議定書の採択

1970年代、地球環境保護への国際的関心が高まった。1974年、メキシコの化学者モリーナとアメリカの化学者ローランドが、フロンガスによるオゾン層の破壊を予想した。1982年、日本の調査隊が南極のオゾン層の減少(オゾンホール)を発見した。

1995年、モリーナとローランドがオゾンホールの解明でノーベル賞を受賞した。以降フロンガスの生産が禁止され、南極観測が地球環境の保護につながった。南極観測の重要性が注目されるにつれて、南極地域の環境保護もATCMで議論された。

1991年、環境保護に関する南極条約議定書が採択、1998年に発効された。この議定書の主な内容には、在来生物の採取・捕獲・有害な干渉の禁止(第3条)、生きた外来生物の持ちこみ禁止(第4条)、科学的調査を除く鉱物資源採取の禁止(第7条)がある。

南極隕石

南極で見つかる隕石を南極隕石という。南極隕石は氷上にあり目立つため、地球で発見された隕石の約8割を占める。またその多くは氷に守られ保存状態が良いことから、約46億年前の太陽系形成初期の状態を知る手がかりとして、調査が進められている。

議定書にある通り、南極では科学的調査のための鉱物資源の採取は認められている。しかし2000年頃、南極隕石がオークションサイトに出品され問題となった。ちなみに、隕石は砂漠でも目立つため見つかりやすい。

犬ぞり

かつて南極での移動手段に犬ぞりがあったが、議定書の発効により外来生物の持ち込みが禁止となり利用できなくなった。現在、南極での主な移動手段は雪上車となっている。

国内法の整備

1997年、日本で議定書の内容を達成するために、南極地域の環境の保護に関する法律が制定された。この法律により日本人が南極を訪れる場合、環境省への届け出等が義務付けられた。このように、条約を締結するために国内で必要になる法律を担保法という

南極条約体制の課題

南極条約締結から50年以上がたち、新たな課題が出てきている。 

観光

2000年頃から、南極の観光客が急増し環境への影響が懸念されている。たとえば、観光用の航空機の墜落や船の沈没といった事故が発生し、部品の散乱や燃料の流出等の汚染が問題となった。そのためATCMで規制強化等の議論が進められている。

バイオプロスペクティング

自然界から医薬品等に利用できる有用な資源を探し出す行為を、バイオプロスペクティングという。たとえば、スイスの製薬会社が開発した免疫抑制剤シクロスポリンは、ノルウェーの土壌から採取したカビが作り出す物質で、主に臓器移植に用いられる。

このように資源提供国と資源利用国が異なる場合、資源提供国へも利益を配分することが生物多様性条約という国際法に定められている。しかし南極には領土問題が存在するため、資源提供国が明確ではない。そのためATCMで議論が進められている。

動物裁判とは?わかりやすく5分で解説

動物裁判とは、主に中世ヨーロッパで行われていた動物が当事者の裁判のこと

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背景

中世ヨーロッパでは、神意によって善悪を判断する裁判(神判)が行われていた。神意の確認方法には、火審、水審、聖餐審、決闘審、クロス審等がある。このように、当時ヨーロッパの裁判は宗教の影響を強く受けていた

火審(熱鉄審)

熱湯の中の指輪を素手で取り、やけどの状態が軽ければ無罪、重ければ有罪となる。熱した鉄を握らせる方法等もある。

水審

手足を縛り水に沈め、浮けば有罪沈めば無罪となる。魔女狩りの際に多く用いられた。これは魔女は空を飛ぶために軽いとされていたため。

聖餐審

パンやチーズを飲み込み、喉につまらなければ無罪となる。

決闘審

決闘の勝者が勝訴となる。

クロス審

手を水平に伸ばし十字架の形を取り、先に腕を下げた方が敗訴となる。  

キリスト教の考え

旧約聖書出エジプト記21章28節には、牛による殺人は牛の罪となり持ち主の罪ではないとの記述がある。このことから、動物の罪は動物自身が償うという考えがあったとされる。また、悪魔が人間や動物に変身し悪行を働くということも信じられていた。

動物裁判の流れ

動物裁判の流れには大きく2種類ある。1つは人間と同様に逮捕、起訴、弁護人の専任、裁判の流れ。拷問もあったという。もう1つはネズミや昆虫等集団が対象の場合で、普段生息している場所を訪れ大声で出廷を命じる。裁判には欠席となるが弁護人はつく

後者の場合、直接処罰ができないため退去命令を下した後、聖水の散布や呪いの言葉をかけ、破門とするのが通例。破門は当時のヨーロッパ社会で最大の罰とされ、ローマ王でさえも破門解除のためローマ教皇に赦しを願ったことがある(カノッサの屈辱)。

判例 

以下に現代も含む裁判の事例を示す。 

昆虫

1120年、フランスで毛虫がブドウ畑を荒らした罪で裁判にかけられた。裁判所は毛虫に破門判決を下した。1587年、フランスでゾウムシがブドウ畑を荒らした罪で裁判にかけられた。詳細は不明だがゾウムシのために新しい土地を準備する記述が残っている。 

ブタ

1457年、ブタ親子が幼児を食い殺した罪で裁判にかけられた。裁判所は母ブタに死刑判決を下したが、子ブタは証拠不十分と未成年を理由に無罪とした。1494年、フランスでブタが赤ん坊を食い殺した罪で裁判にかけられた。裁判所はブタに死刑判決を下した。

1474年、スイスで雄鶏が悪魔的で不自然な産卵の罪で裁判にかけられた。裁判所は雄鶏に死刑判決を下した。

モグラ

1510年、イタリアでモグラが畑を荒らした罪で裁判にかけられた。弁護士はモグラが害虫を食べる有益な動物と主張し、裁判所はモグラに代替地の提供と安全通行権の授与、妊娠しているモグラと子供のモグラには14日の猶予期間を与えた。

ネズミ

1510年、フランスでネズミが畑を荒らした罪で裁判にかけられた。弁護士はネズミが出廷する際、猫や犬に襲われ命を危険にさらす可能性があると主張し、裁判所は裁判の無期限の延期を決定した。

1621年、ドイツで牛が女性を押し倒し殺害した罪で裁判にかけられた。裁判所は牛に死刑判決を下した。

ロバ

1750年、フランスで男性とロバが獣姦の罪で裁判にかけられた。証人によってロバの普段の行儀のよい振る舞いが証言されたことで被害者と認められ、無罪となった。男性は死刑となった。

ウサギ

1995年、日本でアマミノクロウサギ等の動物の代理人(自然保護団体)が、森林伐採禁止等の自然保護を求め裁判をおこした。日本の法律では動物が原告にはなれないため、裁判所は訴えを却下したが、国民の目を集め自然保護団体の狙いはある程度達成された。

2006年、アメリカで猫が複数の人を傷つけた罪で裁判にかけられた。裁判所は猫に接近禁止命令を下し自宅軟禁となった。

2008年、マケドニアで熊が養蜂家から蜂蜜を盗んだ罪で裁判にかけられた。裁判所は熊に14万デナール(約35万円)の損害賠償の支払いを命じた。熊は野生で所有者がいなかったため、保護動物に指定している国が損賠賠償を支払うことになった。 

2015年、アメリカでクロザルの代理人(動物保護団体)が、クロザルの自撮り写真の著作権がクロザル自身にあると訴え裁判を起こした。裁判所は、著作権は動物には適用されないとして、訴えを却下した。 

2017年、アメリカでチンパンジー代理人(動物保護団体)が、人間と同じ権利を求め裁判をおこした。裁判所は、チンパンジー自らが行動に法的責任を持つことは不可能として、訴えを却下した。

無生物の裁判

無生物に対しても裁判は行われている。古代ギリシャでは、像が落下して人を殺したとして有罪判決を受け海に投げ込まれた。1591年ロシアでは、王子が死亡した際に祝福で鳴らされた鐘が反逆罪でシベリア送りになった。

死刑制度とは?わかりやすく5分で解説

死刑制度とは、命を奪う刑罰のこと

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死刑の種類

現代の死刑方法は国や地域によって異なる。絞首(日本等)、銃殺(中国等)、電気椅子(アメリカ)、薬物注射(アメリカ等)、石打ち(イスラム教圏)、斬首(サウジアラビア)等がある。

死刑が規定されている犯罪

日本では死刑の可能性がある犯罪は19種類ある。以下に示す。

内乱首謀(刑法第77条第1項第1号)

国家に対する破壊、暴動を起こす犯罪。

外患誘致(刑法第81条)

外国とつながり日本へ武力行使させる犯罪。

外患援助(刑法第82条)

外国から日本へ武力行使があった時に、外国の軍事行動に加担する犯罪。

現住建造物等放火(刑法第108条)

住居や人のいる建物、電車、船舶等を放火する犯罪。

激発物破裂(刑法第117条第1項、第108条)

住居や人のいる建物、電車、船舶等を火薬等で破壊する犯罪。

現住建造物等浸害(刑法第119条)

住居や人のいる建物、電車等を浸水させる犯罪。

汽車転覆等致死(刑法第126条第3項)

人のいる電車や船舶等を転覆や破壊し、かつ人を殺す犯罪。

往来危険による汽車転覆等致死(刑法第127条、第126条第3項)

電車や船舶等の往来を妨げ、かつ人を殺す犯罪。

水道毒物等混入致死(刑法第146条後段)

水道や水源に人に害のある物を混入し、かつ人を殺す犯罪。

殺人(刑法第199条)

人を殺す犯罪。

強盗致死(強盗殺人を含む)(刑法第240条後段)

強盗が人を殺す犯罪。

強盗強姦致死(刑法第241条後段)

強盗が人を強姦し殺す犯罪。

爆発物使用(爆発物取締罰則第1条)

治安の妨げや人の身体、財産を破壊する目的で爆発物を使用する犯罪。

決闘殺人(決闘罪に関する件第3条、刑法199条)

決闘で人を殺す犯罪。

航空機墜落等致死(航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律第2条第3項)

航行中の航空機を墜落、破壊等する犯罪。 

航空機強取等致死(航空機の強取等の処罰に関する法律第2条)

航行中の航空機を乗っ取り、かつ人を殺す犯罪。

人質殺害(人質による強要行為等の処罰に関する法律第4条)

二人以上で人質を取り第三者に理不尽な要求をし、かつ人質を殺す犯罪。 

組織的な殺人(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律第3条第1項第3号、第2項)

団体の活動で人を殺す犯罪。 

海賊行為致死(海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律第4条)

航行中の船舶の乗っ取りや強盗をし、かつ人を殺す犯罪。

死刑適用基準

1983年、永山則夫連続射殺事件の裁判で最高裁が死刑適用基準(永山基準)を示し、以降日本の基準となった。裁判では永山基準9項目を総合的に判断し、死刑がやむを得ないと認められる場合に死刑となる。

9項目は、犯行の罪質、動機、態様(特に殺害方法の執拗性・残虐性)、結果の重大性(特に殺害された被害者の数)、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状となる。

死刑存廃問題

日本には死刑を必要と考える存置論者と、不要と考える廃止論者が存在する。たとえば日本政府や全国犯罪被害者の会は存置論、国際人権団体アムネスティ日本や日本弁護士連合会は廃止論の立場をとる。主な論点を以下に示す。

憲法

廃止論者は死刑制度が憲法第36条(残虐な刑罰の禁止)違反と主張する。一方存置論者は1946年、最高裁が死刑制度を合憲とした判例(死刑制度合憲判決事件)で反論する。

国家による殺人

廃止論者は国家による殺人は許されないと主張する。一方存置論者は、その論理だと国際法で認められている戦争も国家による殺人といえるが、なぜ死刑制度だけ特別視するのかと反論する。

国際的潮流

廃止論者は国際的な死刑廃止の潮流に従うべきと主張する。1989年、国連で死刑廃止条約が採択された。一方存置論者は、治安維持の責任は各国にあり、それぞれ宗教的、文化的に異なるため他国は関係ないと反論する。

誤判

廃止論者は冤罪で死刑が行われた場合取り返しがつかないと主張する。一方存置論者は、取り返しがつかないのはその他の刑罰も同じため(獄中死や失業等)、誤判は別問題と反論する。

遺族感情

存置論者は罪のない人を殺した犯人の命が保障されるのは正義に反するため、遺族感情を尊重するべきと主張する。一方廃止論者は、刑罰の目的は遺族感情の満足ではないと反論する。

犯罪抑止力

存置論者は刑罰に犯罪抑止力があるのは明らかで死刑も例外でないと主張する。一方廃止論者は科学的根拠がないと反論する。犯罪率は社会情勢等の影響を受ける。そのため他国で死刑廃止後に犯罪率が増加していても、単純に死刑廃止の影響とはいえない。

世論

存置論者は死刑廃止は世論を無視していると主張する。内閣府世論調査によると、死刑制度賛成は約8割に上る。 一方廃止論者は、死刑の情報公開が十分でなく国民が正しく理解していないため、世論は無視し政府主導で進めるべきと反論する。