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金本位制とは?わかりやすく5分で解説

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金本位制とは、金保有量を基準に通貨供給量を決める制度のこと

20世紀に廃れた制度で、現在採用している国はない。

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物々交換経済から貨幣経済

古代の経済は、物々交換によって行われていたとされる。物々交換は、お互いの欲求が一致(欲求の二重の一致)しなけば成立しないという問題があった。たとえば自分の魚を斧と交換したい場合は、自分の斧を魚と交換したい人を探す必要がある。

そこで物品貨幣が登場した。 物品貨幣とは塩や布、穀物、貝殻等それ自体に価値があるもので、商品の交換を仲介する。一旦商品を物品貨幣に変えることで、欲求の二重の一致は不要となり、やがてより劣化に強く価値が安定している金属貨幣が生まれた。

金属貨幣の登場

金属貨幣には金貨や銀貨等がある。これらは貴重なため価値が安定するが、資源の不足により貨幣の生産が滞ることで経済活動を妨げたり、重いという問題があった。そこで、軽く発行が容易で金や銀等との交換が保証された兌換(だかん)紙幣が生まれた。

金本位制の誕生

1816年、イギリスで金本位制が成立しその後世界に広まった。金本位制とは、金保有量を基準に通貨供給量を決める制度のこと。この制度で発行される兌換紙幣は、各国が定めた比率で金との交換を保証しているため金保有量に依存し自由に発行できない

金本位制は、金を基準に各国の通貨の交換比率を固定する固定相場制のため、為替相場が安定し貿易が促進される。しかし輸入超過時は他国へ金が支払われ、金融不安時は紙幣が金へ交換されることで通貨供給量が減り、物価下落(デフレ)をまねく恐れがある

金本位制の中断

1914年以降、第一次世界大戦(WW1)の輸入超過による金の流出を防ぐため、各国で金本位制が停止(金への交換や金輸出の禁止)され管理通貨制度となった。管理通貨制度とは、自国の通貨供給量を通貨当局が管理、調整する制度のこと

この制度で発行される紙幣を不換紙幣といい、金に交換できないが人為的に発行量を決めることができる。たとえばデフレは、通貨供給量を増やすことで脱却が図れる。しかし通貨を発行しすぎると極端な物価上昇(ハイパーインフレ)をまねく恐れがある

世界恐慌の発生

1919年、アメリカが金本位制を復活し、1925年イギリスも続いた。この際イギリスでは、産業が衰退しているにもかかわらず、実体経済とは異なるWW1前の通貨価値(旧平価)で復活させたため、ドル安ポンド高となりイギリスの金がアメリカに流出した

1929年、アメリカで株価が暴落(ウォール街大暴落)し世界恐慌が始まった。これを受けイギリスは、ドイツからの戦後賠償金が回収不可となり金融不安に陥った。するとイギリスの信用が落ち各国のポンドが金と交換され、さらにイギリスの金が流出した

1930年、アメリカが自国の産業を保護するために関税を引き上げた(スムートホーリー法)。1931年、イギリスがスムートホーリー法による輸出の減少を防ぐため、金本位制を停止し管理通貨制度となり、ポンドを発行しポンドの価値が下げた(平価切り下げ)。

第2次世界大戦の勃発

1930年代、世界で金本位制の停止と平価切り下げ(通貨安競争)が行われたことで為替相場が不安定となり貿易が減少した。これを受け各国は、市場確保のため植民地や同じ通貨の国同士で経済圏(ブロック経済)を作り、他国を排除した。

1939年、第2次世界大戦(WW2)が勃発した。WW2勃発の経済的な要因として、資源や植民地の少ないドイツ、イタリア、日本等が市場を確保できず植民地拡大を図ったためと説明される。

ブレトンウッズ体制の確立

WW2後、連合国は国際機関の設立によって為替相場の安定を試みた。1944年、連合国が締結したブレトンウッズ協定により、国際通貨基金(IMF)と世界銀行(IBRD)が設立しブレトンウッズ体制(金ドル本位制)が確立した。

金ドル本位制とは、金と交換できるドルを基準(基軸通貨)に各国の通貨の交換比率を固定する固定相場制のこと。固定相場維持のためには、協定加盟国の通貨当局が為替介入を続ける必要がある。つまり、アメリカ以外の加盟国は同時に管理通貨制度を敷いた。

管理通貨制度への移行

1960年代、アメリカではベトナム戦争等による軍事費の増大や、他国の復興による貿易黒字の減少のためドルの信用が低下し、ドルを金に交換する要求が増大した(ドル危機)。このドル危機により金ドル本位制の維持が困難になった

1971年、アメリカの大統領ニクソン金本位制の停止を宣言した(ニクソンショック)。これにより、アメリカは管理通貨制度へ移行したが固定相場制は維持した。1973年、キングストン合意により、主要先進国が固定相場制から現代の変動相場制に移行した。