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カーゴカルトとは?わかりやすく5分で解説

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カーゴカルトとは、南太平洋のメラネシアに存在する神や先祖の霊が飛行機や船等を用いて様々な工業製品(貨物,カーゴ)をもたらすという信仰のこと

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背景 

17~19世紀にかけて、欧米諸国が次々に太平洋の島々を植民地化し、太平洋の島々にキリスト教等の様々な西洋文化流入した。こうした異文化の接触によって、異文化を排除しようとする運動(土着主義運動)や、文化の変化(アカルチュレーション)が起きた

カーゴカルトの特徴

カーゴカルトの特徴に千年王国思想と西洋文化の模倣がある。両者の一般的な概念を以下に示す。しかし、カーゴカルトは1つの起源を持つわけではなく同時多発的に発生しているため、それぞれの思想は若干異なる。

千年王国思想

新約聖書ヨハネの黙示録によれば、最後の審判の前に世界が災禍に見舞われ、キリストが再臨し1000年の間王国を治めるとされる。この間敬虔な信者は蘇り悪魔は追放され、信者は至福の時を過ごすと信じられている。

西洋文化の模倣

彼らは、神が創った工業製品を白人が秘密の儀式(西洋文化)で不当に占有していると考えるため、西洋文化を模倣する。模倣には訓練や行進、ティーパーティー、洋服の着用、わらで作った飛行機や擬似的な滑走路、木で作った銃やヘッドホン等がある。

主なカーゴカルト

19世紀後半から20世紀にかけて、メラネシアの島々で様々なカーゴカルトが生まれた。特に第二次世界大戦後、軍隊が撤退し貨物が残されると、先住民は豊かになり信仰が強化された。主なカーゴカルトを以下に示す。

マンスレン・コレリ運動

1857年、オランダ領ニューギニアでマンスレン神話に基づくカーゴカルトが生まれた。マンスレン神話とは、メラネシアの島々や人々を創造した英雄マンスレンが、一時王国を離れるが、やがて息子コナーと共に帰還し黄金時代が到来するという伝説のこと。

黄金時代ではすべての幸福が訪れ、働く必要もなくなると信じられた。また彼らは、自らを聖書の登場人物の子孫だと信じ、村を聖書にある村名に改名した。こうした中で、コナーを自称する者が次々に現れ、工場破壊等の白人に対する反発が40年以上続いた。

トゥカ運動

1885年、フィジーでドゥグモイが先祖の帰還と白人入植者の終焉を予言した。彼は、信者と共に白人の象徴シロブタを屠殺する目的で飼ったり、軍事演習を真似たりと植民地当局を挑発した。

ヴァイララ狂信

1919年、パプアニューギニアのヴァイララでカーゴカルトが生まれた。彼らは先祖の霊が白人の姿で貨物を持って船で帰還するというお告げを聞き、洋服を着込み静かにテーブルに着く者や、興奮して歌い踊りトランス状態で失神する者がでた。

このトランス状態のことをhead-he-go-roundという。このような運動は数ヶ月に渡り続き、その間労働は放棄され農地は荒廃した。また彼らは、伝統的な儀式や宝飾品を無用なものとして廃棄した。この運動は10年以上にわたり何度も起きた。

マンブ運動

1937年、パプアニューギニアのマダン州でマンブが、マナム島の火山に住む先祖の霊が貨物をもたらすと予言した。彼は当局のための労働や納税は不要と喧伝し、信者と共に洋服を着て、缶詰や斧、石鹸等工業製品を持ち歩き教会を立てた。

パリアウ運動

1945年、パプアニューギニアのマヌス州でパリアウが、各地を回って西洋文化に倣った資金調達等の経済政策を打ち出し、地域の統一を図った。その際、伝統の破棄やキリスト教を利用した彼の主張が支持者によって曲解され、カーゴカルトが生まれた。

この時の曲解された彼の主張をThe Noiseという。

ヤリ運動

1946年、パプアニューギニアのマダン州でヤリが先祖の帰還や貨物の到来、白人からの開放を予言すると同時に、特定の女性たち(フラワーガールズ)と儀式的な性交を行い花で装飾したビンに精液を集め、先祖の霊がビンの底にお金を作り出すと説いた。

ジョンフラム信仰

1940年代、バヌアツのタンナ島で白人に姿を変えた先祖の帰還が予言された。その後第二次世界大戦によりアメリカ軍の拠点となった島は、貨物で満たされ豊かになり信仰が強化された。ジョンフラムとは、貨物をもたらした米兵の神格化された個人を指す。

現在でも信仰は続いている。彼らは上半身裸に西洋のズボン、胸にUSAのペイント、木で作った銃を持ち行進を行い、ジョンフラムの再臨を待ち続けている。

フィリップ王配信仰

1950年代頃、バヌアツのタンナ島で、イギリスのフィリップ殿下を信仰するカーゴカルトが生まれた。この地域では青白い肌を持つ山の神の子の帰還伝説がある。彼らは植民地教育によってエリザベス2世に敬意を抱き、その夫が神の子に違いないと解釈した。

イギリスは、豚を撲殺するために使用する武器(ナルナル)を持ったフィリップ殿下の写真等を送った。現在でも信仰は続いている。