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ハーバーボッシュ法とは?わかりやすく5分で解説

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ハーバーボッシュ法とは、ドイツの化学者ハーバーとボッシュが発明した窒素と水素からアンモニアを合成する方法のこと

ハーバーボッシュ法は火薬と窒素肥料の大量生産を可能にし、第一次世界大戦の長期化や、20世紀以降の急激な人口増加の要因となった。20世紀最大の発明の一つといわれ、しばしば空気からパンを作ったと称される。

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背景

1798年、イギリスの経済学者マルサスは著書人口論で、食糧は足し算、人口は掛け算で増加するため食糧危機(貧困)が起こると説いた。これ対してドイツの経済学者マルクスは著書資本論で、貧困の原因は失業者が多いためと反論した(相対的過剰人口論)。

当時、植物は腐植(動植物の死骸が土壌で分解された有機物)から栄養を摂取すると考えられていた(腐植栄養説)。1840年、ドイツの化学者リービッヒは著書化学の農業および生理学への応用で、植物の栄養源は有機物ではなく無機物だと説いた(無機栄養説)。

また彼は植物に必須な栄養素を窒素、リン、カリウムとした(三要素説)。1860年、ドイツの植物学者ザックスは水耕栽培による実験で、窒素、リン、カリウム、硫黄、カルシウム、マグネシウム、鉄の七つの無機物が植物の成長に必要なことを証明した。

鉱物質肥料の登場

植物の研究が進むにつれ、鉱物を原料とする無機物肥料(鉱物質肥料)が登場した。1809年、南米のタラパカ地方で窒素の鉱物質肥料となるチリ硝石の鉱床が発見された。当初火薬の原料として採掘されていたが、1960年代に入ると肥料としての需要が拡大した。

1843年、イギリスの農学者ローズは世界初のリンの鉱物質肥料、過リン酸石灰の生産を開始した。更に1861年、ドイツの化学者フランクは世界初のカリウムの鉱物質肥料、塩化カリの生産を開始し、以降三要素の肥料は鉱物資源に頼るようになった

19世紀末になるとチリ硝石の枯渇が憂慮され始めた。1898年、イギリスの化学者クルックスは近い将来世界人口が小麦の供給を上回ることが予想されるため、空気中の窒素から窒素肥料を作る技術(空中窒素固定法)を早急に開発する必要があると主張した。

空中窒素固定法の研究 

窒素分子は、2つの原子が三重結合という強い力で結ばれているため非常に化学反応が起こりにくい。空中窒素固定を行うには、窒素分子を化学反応によってアンモニア等の窒素化合物に変換する必要があるが、そのためには多くのエネルギーを必要とする。

20世紀に入り、空中窒素固定法としてノルウェーの物理学者ビルケランドと工学者アイデが電弧法を、ドイツの化学者フランクとポーランドの化学者カロが石灰窒素法を発明したが、どちらも消費電力が大きくエネルギー効率が悪かった

ハーバーボッシュ法の誕生

1909年、ドイツの化学者ハーバーはエネルギー効率の良い新しい空中窒素固定法を実験室規模で確立した。これは、触媒という化学反応を促進させるための物質を用い高温高圧下で窒素と水素を反応させ、アンモニアを合成するものだった。

このニュースを知りハーバーの実験室を訪れたドイツの化学メーカーBASFの社長ブルンクは、工業化を決断した。

工業化の課題 

工業化には、多くの課題をクリアする必要があった。たとえば高温高圧設備の開発、安価な触媒の探索がある。

高温高圧設備の開発

実験ではアンモニアの合成に200気圧程度必要としたが、当時は30気圧程度の設備しか存在していなかったため、新たに設備を開発する必要があった。設備開発はボッシュが担当した。はじめ彼の設計した設備は、高圧に耐えられず数日で反応管が破断した。

これは高温高圧下の設備内で、水素が反応管の炭素を奪い反応管の強度が低下(水素脆性)したためだと分かった。そこで反応管の内側を炭素の少ない軟鉄、外側を強度の高い普通鋼とすることで、高温高圧に耐えられる設備が完成した。

安価な触媒の探索

実験では触媒に高価で希少なオスミウムを使用したが、工業化のためには安価で手に入りやすい触媒を開発する必要があった。触媒探索はミタッシュが担当した。彼は約2万回の実験を行い、安価でアンモニア合成に適した二重促進鉄触媒を開発した。

ハーバーボッシュ法の影響 

1913年、BASFは本格的なアンモニアの製造を開始し、人類は鉱物資源に頼らず火薬や窒素肥料の大量生産が可能になった。これにより1918年ハーバーがアンモニア合成法の開発で、1931年ボッシュが高圧化学的方法の発明と開発でノーベル賞を受賞した。

1950年頃から、品種改良や化学肥料の大量導入により穀物の収量が飛躍的に増加した。これを緑の革命というが、ハーバーボッシュ法はその一翼を担った。また工業化によって得られた技術は、その後の石油化学工業の発展に大きく貢献した。