なにかの知識

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前成説とは?わかりやすく5分で解説

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前成説とは、かつて信じられていた生物の発生においてその構造があらかじめ形作られているという説のこと

簡単に言うと、精子もしくは卵(卵子)の中にミニチュア版の生物の原型が存在し、それが子供になるというもの。

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背景

生物の発生については、古代ギリシア時代から2つの考えが存在していた。それは前成説と後成説と呼ばれる。前成説はあらかじめ形作られた極小の原型が成長するという考えのことで、後成説は原形のない状態から徐々に形作られるという考えのこと

たとえば古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、経血が固まり子供になると考え後成説の立場をとった。

前成説の種類

前成説には精原説と卵原説がある。

精原説

精原説とは、精子の中に生命の原型が存在するという説のこと。1677年、オランダの科学者レーウェンフックらが精子を発見した。そこで、精子が生命の源という考えが生まれた。当時、社会的に女性よりも男性の方が優れているという考えがあった。

たとえば、旧約聖書には神の似姿としてアダムが創造され、アダムの肋骨からイブが創造されたとの記述がある。1694年、オランダの科学者ハルトゼーカーが精子を顕微鏡で観察し、精子の中に体育座りをした小人が入っていると主張し、精原説を支持した。

卵原説

卵原説とは、卵(卵子)の中に生命の原型が存在するという説のこと。1669年、オランダの生物学者スワンメルダムが、昆虫のさなぎの中に成虫の器官を確認し卵原説を支持した。当時、さなぎは卵と信じられていた。

1672年、イタリアの医学者マルピーギが、ニワトリの卵の中に成体の器官を確認し、卵原説を支持した。1745年、スイスの博物学者ボネが、アリマキ(アブラムシ)が雌のみで子供を産むこと(単為生殖)を確認し、卵原説を支持した。

前成説の問題点

前成説が正しいとすると、生物の原型の中にも将来生まれてくる生物の原型がマトリョーシカのように存在することになる。つまり、最初の生物はすべての子孫の原型を有している必要がある。これに対し、前成説支持者は特に疑問を抱かなかった。

しかし1744年、スイスの博物学者トランブレーが、水生生物のヒドラを断片に分けてもそれぞれが元の形に再生することを発見した。前成説では、あらかじめ器官が存在していると考えるため、この失った器官の再生をうまく説明できなかった

また、両親の特徴を受け継ぐ遺伝も説明できなかった。なぜなら精原説、卵原説のどちらも子供の構造が片親で決定されると考えるため。

発生学の誕生

1759年、ドイツの生理学者ヴォルフがニワトリの胚を顕微鏡で観察し、それぞれの器官が同時に現れない点、一度現れた器官が形を変えて別の器官になる点等から、生物の原型は存在しないと主張した。但し、この時点ではまだ前成説支持者も多かった。

1828年、ロシアの発生学者ベーアが胚葉説を唱えた。胚葉説とは、動物の発生において、まず胚がいくつかの細胞の塊(胚葉)に分かれ、それらが各器官を形作るという説のこと。これはヴォルフの考えを発展させたものといえる。

1888年、ドイツの生物学者ルーが、カエルの受精卵が2つの細胞に分裂した後(2細胞期)に片方を焼くと、残った細胞からは胚(発生初期の生物)の半身のみが形成されることを発見した。これは、あらかじめ構造が決定していると考える前成説を後押しした。

しかし1895年、ドイツの生物学者ドリーシュが、ウニの受精卵の2細胞期に細胞を分けて培養すると、どちらも完全な胚が形成されることを発見した。その後、カエルの受精卵でも焼いた細胞を除去すれば完全な胚が形成されることが明らかになった。

発生学の発展

1922年、ドイツの動物学者フォークトが、両生類の胚を局所的に染色することで特定の領域がどのような組織や器官になるかを追跡し(局所生体染色法)、胚の領域と組織や器官の関係を図で示した(原基分布図または予定運命図)

1924年、ドイツの生物学者シュペーマンが、胚の成長段階ごとに黒いイモリの将来神経になる胚の領域と白いイモリの将来表皮になる胚の領域を交換移植し、いつ細胞の運命が決定するのかを明らかにした

さらに彼は、特定の胚の領域(オーガナイザー)を移植すると、移植された側の組織が移植した組織に誘導され、移植前の運命と異なる新たな胚(二次胚)が形成されることを発見した。1935年、シュペーマンが胚発生における誘導作用の発見でノーベル賞を受賞した。

これら発生学の研究は、生物の発生の初期段階では細胞の運命が決定していないことを示し、前成説は完全に否定された。

衆議院解散とは?わかりやすく5分で解説

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衆議院解散とは、日本の議会においてすべての衆議院議員が任期満了前に地位を失う制度のこと

以降、便宜上衆議院解散を解散と表記する。

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解散の種類

解散には7条解散と69条解散がある。なお参議院に解散制度はない。

7条解散

憲法第7条では、解散を天皇の行う行為(国事行為)として定めている。しかし、憲法第4条により天皇は国政に関する機能を有しないため、実質的な決定権は内閣にあるものとして扱われる。つまり、解散は内閣総理大臣が自由に行える

ほとんどの解散は7条解散となる。

69条解散

憲法第69条では内閣不信任決議案が可決、もしくは内閣信任決議案が否決された場合に、内閣は総辞職か解散を選択することを定めている。69条解散は1948年の馴れ合い解散、1953年のバカヤロー解散、1980年のハプニング解散、1993年の嘘つき解散のみ。

解散の流れ

一般的な7条解散を例に流れを示す。まず内閣で解散を決定させる。次に、詔書を作成し天皇の署名押印(御名御璽)を受け、内閣総理大臣が署名する。この証書は紫の袱紗(ふくさ)に包まれ、衆議院本会議で衆議院議長の手に渡る。

そこで議長は「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と朗読し、議員は万歳三唱を行う。万歳の理由については、天皇に対して、もしくは自身の士気を鼓舞するためという説がある。その後、40日以内に衆議院議員総選挙が行われ新たな議員が選出される。

解散の頻度

衆議院は大抵の場合任期満了前に解散する。これは、主に与党が勝てると判断した時に解散を行うため。戦後、解散せずに任期満了となったのは1976年の1回のみ。この時は、ロッキード事件により与党自民党が分裂し解散を図れなかったためとされる。

ちなみに衆議院議員の任期は4年となる。

主な解散

主な解散を以下に示す。

抜き打ち解散

1952年、第3次吉田内閣において行われた解散のこと。与党自由党内で吉田派と鳩山派が対立し、密かに選挙準備を進めていた吉田派が鳩山派を出し抜くために突然解散したた。その後の選挙では与党自由党が大きく議席数を減らした。

抜き打ち解散は初めての7条解散となったが、国民民主党苫米地義三がこれを違憲だとして訴訟を起こした(苫米地事件)。これに対し最高裁は訴えを却下した。

バカヤロー解散

1953年、第4次吉田内閣において行われた解散のこと。衆議院予算委員会社会党右派の西村栄一の質問に対しばかやろうと呟いた吉田が非難され、野党が内閣不信任決議案を提出、可決されたことで解散した

その後の選挙では与党自由党過半数割れの大敗を喫した。ちなみに本記事のトップ画像はバカヤロー解散のもの。

一般消費税解散

1979年、第1次大平内閣において行われた解散のこと。内閣が財政再建のため一般消費税の導入を打ち出し解散した。しかし不正経理問題等も重なり、国民の反発が強く選挙直前に増税を撤回した。その後の選挙では、与党自民党過半数割れの大敗を喫した。

ハプニング解散

1980年、第2次大平内閣において行われた解散のこと。野党が与党自民党のスキャンダルを理由に否決されると思いつつも内閣不信任決議案を提出、これに対し与党内の反主流派が立場を決めきれず欠席し、予想外に可決されたことで解散した

その後の選挙では、選挙期間中に大平が急死したことで党内が団結し、同情票も集まり自民党が大勝した。

死んだふり解散

1986年、第2次中曽根内閣において行われた解散のこと。高い支持率を保ち衆参同日選挙を目論んでいた中曽根だったが、そのそぶりを見せないまま通常国会は閉幕、その直後に突然臨時国会を召集し解散した。その後の選挙では衆参共に与党自民党が大勝した。

嘘つき解散

1993年、宮澤内閣において行われた解散のこと。宮澤が公約に掲げた小選挙区比例代表並立制の成立を次の国会まで先送りしたことを受け、野党が内閣不信任決議案を提出、可決されたことで解散した。その後の選挙では与党自民党が敗北し政権交代が起きた。

神の国解散

2000年、第1次森内閣において行われた解散のこと。失言の多かった森が神道政治連盟議員の懇談会に出席した際、日本は神の国と発言したことで政教分離の原則に反すると野党が批判し、内閣不信任決議案を提出、その結果を待たずに解散した

その後の選挙では与党自由党が大きく議席数を減らした。

郵政解散

2005年、第2次小泉内閣において行われた解散のこと。郵政民営化法案が参議院で否決され、国民に信を問うために解散した。その後の選挙では与党自民党が圧勝し、郵政民営化法案が成立した。

近いうち解散

2012年、野田内閣において行われた解散のこと。近いうちに解散すると言っていた野田が、党首討論自民党総裁安倍晋三から解散時期を追求され、2日後に行うと宣言し解散した。その後の選挙では与党民主党が敗北し政権交代が起きた。

バンド解散理由とは?わかりやすく5分で解説

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バンド解散理由とは、音楽バンドが解散するきっかけとなった理由のこと

以下にその種類を示す。なお本記事ではあくまで一般的に知られる説を採用し、事実上の解散も含むこととする。

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音楽性の違い

ザ・バンド

アルバム制作を重視するギターのロビー・ロバートソンと、ツアー活動を重視するメンバーの意見が対立したため。

プリンセス プリンセス

保守的な意見と革新的な意見が対立したため。

JUDY AND MARY

バンドの主導権がベースの恩田快人からギターのTAKUYAに移り、恩田が脱退を申し出たため。

ナンバーガール

ベースの中尾憲太郎が自分のやりたい音楽をするために脱退を申し出たため。

確執

クリーム

ベースボーカルのジャック・ブルースとドラムのジンジャー・ベイカーの確執のため。

ザ・ビートルズ

メンバー間の確執のため。

キャロル

ベースボーカルの矢沢永吉とギターボーカルのジョニー大倉の確執のため。

イーグルス

ドラムボーカルのドン・ヘンリーとギターボーカルのグレン・フライの二人と、ギターのドン・フェルダーの確執のため。

ポリス

メンバー間の確執のため。

チェッカーズ

メンバー間の確執のため。

ザ・ヴァーヴ

ボーカルのリチャード・アシュクロフトとギターのニック・マッケイブの確執のため。

スキッド・ロウ

ボーカルのセバスチャン・バックが、大ファンのキッスのツアーサポートを務めるかどうかでメンバーともめたため。

ミスター・ビッグ

ベースのビリー・シーンとメンバーとの確執のため。

SUPERCAR

ギターボーカルの中村弘二とベースボーカルの古川美季の二人と、ギターの石渡淳治の確執のため。

オアシス

ギターボーカルのノエル・ギャラガーと、ボーカルのリアム・ギャラガーの兄弟喧嘩のため。

ソニック・ユース

ギターボーカルのサーストン・ムーアとベースボーカルのキム・ゴードンが離婚したため。

団体活動

THE BLUE HEARTS

ベースの河口純之助が宗教団体「幸福の科学」に没頭し、ファンを勧誘し始めたため。

XJAPAN

ボーカルのTOSHIが自己啓発セミナー「ホームオブハート」没頭し、脱退を申し出たため。

薬物中毒

ストゥージズ

ボーカルのイギー・ポップがヘロイン中毒のため。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン

キーボードボーカルのスライ・ストーン麻薬中毒のため。

ターボネグロ

ボーカルのハンク・ヴォン・ヘルヴェットがヘロイン中毒のため。

病気・怪我

T-BOLAN

ボーカルの森友嵐士心因性発声障害を発症したため。

メガデス

ギターボーカルのデイヴ・ムステインが左手の怪我により脱退したため。

TOTO

ベースのマイク・ポーカロ筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したため。

BOOM BOOM SATELLITES

ギターボーカルの川島道行が脳腫瘍を発症したため。

死去

T・レックス

ギターボーカルのマーク・ボランが愛人の運転する車で交通事故死したため。

レッド・ツェッペリン

ドラムのジョン・ボーナムが、過剰飲酒後の就寝時に吐瀉物をのどに詰まらせ窒息死したため。

ジョイ・ディヴィジョン

ボーカルのイアン・カーティスが首つり自殺したため。

ハノイ・ロックス

ドラムのラズルが、モトリー・クルーのボーカルのヴィンス・ニールの運転する車(飲酒運転)で交通事故死したため。

メイヘム

ギターのユーロニモスがバーズムのヴァルグ・ヴィーケネスに刺殺されたため。

ニルヴァーナ

ギターボーカルのカート・コバーンがショットガンで自殺したため。

グレイトフル・デッド

ギターのジェリー・ガルシアが心筋梗塞で死去したため。

ダメージプラン

ギターのダイムバッグ・ダレルが観客に射殺されたため。

ふぇのたす

デジタルパーカッションの澤"sweets"ミキヒコが急性心不全で死去したため。

完成

はっぴいえんど

アルバム「風街ろまん」の成功と達成感のため。

ゆらゆら帝国

アルバム「空洞です」の発表とその後のライブツアーで最高点に達したため。

THE BOOM

すべてやり尽くしたため。

聖飢魔II

地球征服が完了したため。結成当初から1999年7月に解散すると宣言していたが、マネージャーが仕事を入れてしまい12月まで延長された。

不祥事

Hysteric Blue

ギターのナオキが強制わいせつの容疑で逮捕されたため。

JELLY→

ドラムのコーヘイが強制わいせつの容疑で逮捕されたため。

Janne Da Arc

ベースのka-yuに対し恐喝・詐欺の集団訴訟を起こす動きがあり、ka-yuが脱退したため。

無限マイナス

パーカッションの前川和磨が出会い系サイト詐欺の容疑で逮捕されたため。

cro-magnon

ギター、ベースのコスガツヨシが大麻所持の容疑で逮捕されたため。

その他

レインボー

ギターのリッチー・ブラックモアとベースのロジャー・グローヴァーがディープ・パープルの再結成により脱退したため。

野猿

本業(テレビ制作スタッフ)への専念と人事異動のため。

カロリックとは?わかりやすく5分で解説

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カロリックとは、かつて熱の正体と考えられていた物質のこと

イギリスの物理学者ジュールらが発見した熱力学第1法則(エネルギー保存則)により存在が否定され、現代物理学では取り扱われなくなった概念。

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背景

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、この世界が火、空気、水、土の四元素で構成される地上と、アイテール(第五元素,エーテル)で構成される天空から成ると考えた。このように、当時火は物質と考えられていた。

17世紀頃、温度計の開発・発展に伴い熱の研究が活発化した。当時、熱を物質と考える熱物質説と熱を粒子の運動と考える熱運動説が対立していた。今日では熱運動説が正しいとされるが当初は熱物質説が優勢だった

フロギストン説の提唱

1697年、ドイツの化学者シュタールがフロギストン説を提唱した。フロギストン説とは、物質の燃える現象(燃焼)を燃素(フロギストン)の放出で説明する熱物質説のこと。つまり、フロギストンを含む物質が可燃物になると考える。

この説は、金属を燃焼させると金属からフロギストンが放出され灰が残ると考える。この説は広く受け入れられたが問題もあった。それは金属を燃焼させると質量が増加する点。この現象は今日、金属に酸素が結びつく(酸化する)ためと説明される。

これに対し、当時はフロギストンが負の質量を持ち放出されることで重くなるとした。この負の質量という考えは、暖かい空気が上にたまること等から普通に受け入れられた。しかし、それでは反対に木が燃焼によって軽くなることを説明できなかった。

カロリック説の登場

1774年、フランスの化学者ラボアジエが、燃焼による金属の質量増加は金属が空気と結合するためと主張した。彼は密閉容器内で金属を燃焼させ、燃焼によって金属単体の質量は増加しても容器全体の質量が変わらないことを発見した(質量保存の法則)。

その後、彼はカロリック説を提唱しフロギストン説を不要とした。カロリック説とは、空気を空気の基と熱素(カロリック)からなると考え、それらの作用で温度変化を説明する熱物質説のこと。つまり、温度は物質に含まれるカロリックの量の違いと考える。

この説は、金属を燃焼させると金属と空気の基が結合し灰となり、木を燃焼させると木と空気の基が結合しガスと灰となり、どちらも空気から遊離したカロリックにより熱が生じると考える。

断熱膨張の研究

当時、温度の出入りのない密閉容器内の気体を膨張(断熱膨張)させた時、気体の温度が下がることが知られていた。この現象は今日、エネルギー(熱)が仕事(膨張)に使われるためと説明される。これに対し、当時は比熱変化理論と比熱・潜熱理論が対立した。

比熱変化理論

比熱変化理論とは、断熱膨張すると気体自身が蓄えることのできるカロリック量(熱容量)が増加し、周囲のカロリックを奪うために温度が低下するという説のこと

比熱・潜熱理論

比熱・潜熱理論とは、断熱膨張すると一部のカロリックの結合が強くなり温度変化に影響を与えない潜熱となるため、温度が低下するという説のこと

ランフォードの実験

アメリカの科学者ランフォードがカロリック説を否定した。彼は、大砲の砲身を削る際の熱が無尽蔵に発生することに気づいた。そこで、その機械を水中に沈め水が沸騰するほどの熱の発生を確認した。彼はその熱の正体を摩擦による熱運動だと考えた。

もし熱の正体がカロリックなら、空気の少ない水中でどこからカロリックが供給されるのか説明する必要があった。そこでカロリック説支持者は、砲身を削る過程で金属が圧縮され金属内のカロリックが放出したという説や、金属内の潜熱が現れたという説を唱えた。

カロリック説の衰退

18世紀末頃、熱放射の研究が盛んになった。熱放射とは、熱が空間を飛び伝わる現象のことで真空中でも起こる。たとえば、太陽の熱は宇宙空間を飛び地球に伝わる。もしカロリックが物質なら真空中を移動できない

エネルギー保存則の発見

19世紀中頃、イギリスの物理学者ジュールとドイツの物理学者マイヤー、ヘルムホルツがそれぞれ別々に熱力学第1法則(エネルギー保存則)を発見した。この発見により、熱を物質ではなく運動(エネルギー)と捉えることになり、カロリック説は完全に否定された。

安楽死とは?わかりやすく5分で解説

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安楽死とは、終末期患者に対し苦痛の緩和や除去のために行う措置のこと

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安楽死の分類

安楽死の主な分類を以下に示す。

純粋安楽死

純粋安楽死とは、終末期患者に対して行う死期を早めない苦痛の緩和措置のことホスピス等で行われる終末医療(ターミナルケア)がこれにあたる。

消極的安楽死

消極的安楽死とは、終末期患者に対し延命治療を行わない措置のこと脳死患者の人工呼吸器を取り外す行為等がこれにあたる。

間接的安楽死

間接的安楽死とは、終末期患者に対して行う間接的に死期を早める苦痛の緩和措置のこと。患者の苦痛を和らげるために寿命が縮まるとされる医療用麻薬を投与する行為等がこれにあたる。但し、適切に使用すれば生命の短縮はないという意見もある。

積極的安楽死

積極的安楽死とは、終末期患者に対して行う直接的に死期を早める苦痛の除去措置のこと。患者を苦痛から解放するために薬物を投与して殺す行為等がこれにあたる。一般に安楽死の議論では、この積極的安楽死を認めるかどうかが焦点となる。

安楽死が認められている国

現在法律で安楽死を認めている国は、スイス、アメリカ(一部の州)、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア(ビクトリア州のみ)、韓国となる。 但し、余命や対象年齢、方法等の条件は各国で異なる。

スイスでは積極的安楽死が認められていないため、自殺ほう助の形がとられる。すなわち、医師が自殺のできる環境を整え実際の措置は患者自身が行う。また、唯一外国人でも安楽死のできる国のため、世界中から安楽死希望者が集まる(デスツーリズム)

日本の安楽死裁判

1962年、殺してくれと訴えていた全身不随の父親に対し、息子が農薬入りの牛乳を飲ませて死亡させた事件(名古屋安楽死事件)の裁判で、名古屋高裁安楽死を合法とするために必要な条件(違法性阻却条件)を示した。

それは、①終末期患者、②見るに忍びない苦痛がある、③目的が苦痛からの解放、④意識が明瞭な場合は安楽死の意思表示がある、⑤原則医師による措置、⑥倫理的に妥当な方法の6要件となる。本件では、⑤と⑥が欠けていると判断され嘱託殺人罪が成立した。

1995年、昏睡状態の末期がん患者に対し、医師が親族の要望に応じて意図的に薬物を投与し死亡させた事件(東海大学安楽死事件)の裁判で、横浜地裁が新たな違法性阻却条件を示した。

それは、①終末期患者、②耐え難い苦痛がある、③苦痛から解放するための方法が他にない、④安楽死の意思表示があるの4要件となる。本件では、②と③と④が欠けていると判断され殺人罪が成立した。

両者の②と④を比較して分かる通り、1995年の要件の方が患者の意思と権利(自己決定権)を重要視している。現在日本において積極的安楽死が認められた例はない

安楽死の問題点

世界中で積極的安楽死をめぐる議論は行われている。世界では世界医師会をはじめ反対派が優勢となる。日本では国民の半数以上が賛成しているにもかかわらず、法整備が一向に進んでいない。主な論点を以下に示す。

自己決定権 

自己決定権とは、他者に危害を加えない限り自分の行動を自由に決定できる権利のこと。たとえば日本において自殺は罪に問われない。肯定派は、自分の死は自由に決められるべきと主張する。一方反対派は、生命は社会とつながり個人のものではないとする。

まず、児童ポルノ等は単純所持でも罪に問われるため、他者危害の有無だけでは判断できない。また、もし自己決定権で自分の生命を自由にできるのなら、本人の自殺を助ける自殺ほう助罪や、本人の依頼を受けて殺す嘱託殺人罪は成り立たないと反論する。

他の安楽死との差

肯定派は、禁止されている積極的安楽死と許可されている消極的安楽死は、どちらも患者が望んだうえで行われる死期を早める措置で道義的に差はないと主張する。一方反対派は、自然死と殺人には道義的な差があると反論する。 

すべり坂論法

すべり坂論法とは、少しでも許可すると坂をすべるように歯止めが利かなくなるため、許可すべきでないという論法のこと。反対派はナチスによる障害者安楽死政策(T4作戦)のような生命軽視や、社会的に安楽死を求める無言の圧力につながると主張する

一方肯定派は、すべり坂論法は推測の域を出ず根拠がないとする。

キリスト教的信念

キリスト教徒の反対派は、生命は神からの贈り物で人間が自由に奪ってはならないと主張する。一方賛成派は、一部の宗教的信念を他者に強要するべきではないと反論する。

社会的弱者の安楽死

障害を持って生まれた新生児や一部の知的障害者は自分で意思表明ができない。そのため代理人が人の生命を扱って良いかが議論される。オランダでは、重度の障害を持った新生児の安楽死が認められている。

超弦理論とは?わかりやすく5分で解説

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超弦理論とは、物質を構成する最小単位(素粒子)を1次元の弦(ひも)と考える弦理論に、超対称性の性質を追加した理論のこと

簡単に言うと、世界はひもでできているという考え。超ひも理論ともいう。

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基本相互作用について

自然界に働く力は電磁気力、弱い力、強い力、重力の4つと考えられている。これを基本相互作用という。

電磁気力

原子核と電子や、原子同士を結び付け原子や分子を作る力のこと。電気と磁気の力。

弱い力

重い素粒子から軽い素粒子に崩壊する時の力のこと。

強い力

原子核等を構成する素粒子(クォーク)同士を結び付け、陽子や中性子等を作る力のこと。

重力

物質同士が引かれ合う力のこと。他の3つの力に比べ極端に弱い。たとえば、静電気で髪の毛を逆立てられるのは、重力よりも電磁気力が圧倒的に強いため。

歴史

多次元の解釈

1921年、ドイツの物理学者カルツァが、重力と電磁気力を統合するために5次元時空を仮定し1926年、スウェーデンの物理学者クラインが発展させた(カルツァ=クライン理論)。しかし、実際人類は4次元(縦+横+高さ+時間)以上の次元を認識していない。

そこでカルツァ=クライン理論では、余分な次元(余剰次元)は認識できないほど小さなスケールにコンパクト化されていると考える

弦理論の誕生

1970年、アメリカの物理学者サスキンド、デンマークの物理学者ニールセン、日本の物理学者南部陽一郎が、強い力で結合した素粒子の組(ハドロン)は点ではなく弦だと考えた(弦理論)

たとえば、バイオリンは1本の弦で様々な音を鳴らすことができる。同様に弦理論では弦の振動の違いが粒子の性質の違いを生むと考える。1971年、フランスの物理学者ラモンらが弦理論を拡張し、17種類ある素粒子を1つの弦の振動の違いで説明した

しかし、弦理論の成立には26次元必要で、光よりも速い素粒子(タキオン)の存在等が実験結果と矛盾していたため研究の主流にはならなかった。この矛盾をアノマリーという。

量子重力理論の研究

基本相互作用のうち電磁気力、弱い力、強い力は素粒子のようなミクロの世界を記述する量子論で、重力は天文現象のようなマクロの世界を記述する一般相対性理論で説明できる。基本的に両理論は、適用するスケールが異なるため並立していても支障はない。

しかし、宇宙誕生の瞬間やブラックホールのような大質量かつミクロの世界を記述するためには、両理論を統合させる必要がある(量子重力理論)。但し、重力を量子論に適用すると計算が無限大に発散する問題が生じる(紫外発散)

これは素粒子を大きさの持たない点とすると、素粒子間の距離が0の時に重力が無限大になるため。そこで1974年、アメリカの物理学者シュワルツとフランスの物理学者シャークが、素粒子を大きさを持つ弦と考える弦理論を量子重力理論に適用した

第1次ストリング革命

1984年、シュワルツとイギリスの物理学者グリーンが、弦理論に超対称性を導入し26次元を10次元に減らし、アノマリーを解消した(超弦理論)。超対称性とは、すべての素粒子にペアとなる素粒子(超対称性粒子)を設ける考えのこと。

超対称性は、17種類の素粒子からなる現代素粒子物理学の基本的な理論(標準理論)の欠点を補う新しい考えとして期待されている。これにより研究が進み超弦理論にはI型、IIA型、IIB型、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8の5つのバージョンが誕生した。

第2次ストリング革命

1995年、アメリカの物理学者ウィッテンが、5つの超弦理論を11次元の一つの理論に統一させた(M理論)M理論では1次元の弦ではなく2次元の膜を扱う。また同年、アメリカの物理学者ポルチンスキーらが、弦が集まり膜として働く概念を導入した(Dブレーン)

当時、素粒子も身動きできないブラックホールから、なぜか熱が生じる現象が問題になっていた(ホーキング放射)。イランの物理学者バファが、Dブレーンを用いブラックホール内にたたまれた膜と弦が発する熱とホーキング放射の熱が一致することを証明した。 

問題点

超弦理論には実験で確認できない問題が多いため推測の域を出ず、反対派も存在する。たとえば、余剰次元の確認方法や超対称性粒子の発見の見通しは立っていない。現に超弦理論の業績でノーベル賞を受賞した人物は出ていない。

しかし現在のところ理論に大きな破綻はなく研究が進められている分野で、超対称性粒子の一部は宇宙に存在するとされる未発見の粒子(暗黒物質,ダークマター)の候補として期待され、重力が極端に弱い理由も説明できる可能性を秘めている。 

犯罪心理学とは?わかりやすく5分で解説

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犯罪心理学とは、犯罪や犯罪者の心理を研究する学問のこと

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犯罪心理学の分野

犯罪心理学が扱う主な分野を以下に示す。

犯罪原因論

犯罪の原因を研究する分野のこと。遺伝や栄養状態、幼少期の体験、親の教育等、犯罪の原因を個人に求める素質説と、経済的格差や生活環境等、犯罪の原因を社会に求める環境説がある。

捜査心理学

心理学を犯罪捜査支援に応用する分野のこと。実際に開発された手法として、犯罪の性質を過去の情報と照らし合わせることにより犯人を割り出すプロファイリングや、脳波、脈拍、皮膚電気活動等の生理現象を測定し証言の嘘を見抜くポリグラフ等がある。

裁判心理学

心理学を裁判の過程へ応用する分野のこと。自白や目撃証言の信憑性、被害者や加害者の印象、振る舞いが判決に及ぼす影響等を扱う。

矯正心理学

心理学を犯罪者や非行少年の更生支援に応用する分野のこと。犯罪者や非行少年の知能や性格の評価(アセスメント)、更生のための適切な処遇の検討やカウンセリング等を扱う。

歴史

科学的な犯罪研究のはじまり

1876年、イタリアの精神科医ロンブローゾが犯罪者と一般人の身体的、心理的特徴を比較し犯罪者は生物学的に退化していると主張した。さらに、このような人種は社会に馴染めず、必然的に犯罪者になるとした(生来性犯罪者説)。

この主張は後に否定されることになるが、彼以降、犯罪研究が客観的なデータに基づいて科学的に扱われるようになった。また彼は1895年、尋問中の容疑者の血圧と脈拍を測定し、ポリグラフの開発につながった。

遺伝の研究

1877年、アメリカの社会学者ダグテールが、ある刑務所に同じ血縁者が6人もいることに気づきその一族を調査、犯罪が貧困や遺伝と関係すると主張した。以降、犯罪と知能や染色体の関係、また一卵性双生児と二卵性双生児を比較する研究も行われている。

精神分析の誕生

19世紀後半、オーストリア精神科医フロイト精神分析を創始した。精神分析とは、人間の潜在意識(無意識)を読み解くことで心理の理解や治療に役立てる学問のこと。彼は、幼少期の体験が人格形成に影響を与え精神障害や犯罪をまねくと主張した

以降、幼少期の体験による影響の研究が行われている。

犯罪者の類型化

1921年、ドイツの精神科医クレッチマーが人間の性格と体型を犯罪に結びつけ分類した。彼は細身型は非社交的で窃盗犯が多く、肥満型は社交的で詐欺犯が多く、闘士型はしつこく暴力犯が多く、それ以外の発育異常型は反道徳的で性犯罪が多いと主張した。

その後、アメリカの心理学者シェルドンやドイツの精神科医ゼーリッヒもそれぞれ様々な犯罪者の類型化を行った。こうした類型化の研究は、プロファイリングの開発につながった。

裁判への活用

1923年、アメリカの刑事裁判で弁護士が初めてポリグラフ検査の提案をしたが、却下された。この時、新しい科学鑑定の証拠採用は多くの専門家がその有効性を認めているものに限るという基準が生まれた(フライ基準)。

ポリグラフ検査の証拠採用は、基本的に欧米では認められていないが、日本では1968年、最高裁が一定の条件を満たせば認めるとした。

目撃証言の研究

1979年、アメリカの心理学者ロフタスが、誤った情報を与えられると目撃した記憶が改ざんされる事を実験で明らかにした(事後情報効果)。1988年、イスラエル社会学者ラトナーが、アメリカの冤罪事件の約半数が誤った目撃証言によるものと発表した。

犯罪者プロファイリング

犯罪者プロファイリングとは、犯行の性質から犯人の推測を行うというもの。1970年代、アメリカFBIのマラニーとテットンが急増する連続殺人事件の捜査のため、FBI方式プロファイリングを開発した。

FBI方式は、過去の事件記録等をもとに犯行の性質から犯人の特徴を秩序型と無秩序型の大きく2つに分類した。これにより犯人が既婚/独身、外交的/内向的等を推測できた。しかし、分類が難しい事件については結局捜査員の経験や勘を頼りに推定していた

1980年代、イギリスの心理学者カンターがリバプール方式プロファイリングを開発した。リバプール方式はFBI方式に比べより統計的に犯人を推定した。これは過去の事件記録での凶器の種類や遺体の状態等の情報と犯人の特徴の相関データを用いた。

地理的プロファイリング

1990年代、カンターらが地理的プロファイリングを開発した。これは、犯行現場の地点から犯人の居住地や犯行予測等地理的な推測を行うというもの。たとえば、一番離れた犯行現場同士を線で結んだ直径の中に犯人の居住地がある可能性が高い(円仮説)。

エニグマとは?わかりやすく5分で解説

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エニグマとは、ドイツの電気技術者シェルビウスが発明した暗号機のこと

第2次世界大戦でドイツ軍が採用し、イギリスが解読に成功したことで大戦の早期終結につながった。

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構造

エニグマは、キーボードで入力した文字(原字)をプラグボード、ローター、リフレクター、ローター、プラグボードの順に通し、暗号化した文字(暗字)をランプボードに表示する。エニグマの設定パターンは、最終的に約159×10の18乗通りまでなった。

プラグボード

所定の差込口にケーブルで挿すことで、指定した文字同士を入れ替える。初期の運用では6組12文字が入れ替えられた。この場合の配線パターンは約1,000億通りとなる。

ローター

複数並べて使用する円盤状の構造物で、入力した文字を別の文字に変換する。1枚で26通りあるローターのセット位置によって出力する文字が変わる。外周にはアルファベットの刻印があり、セット位置の目印に使用される。

標準的な3枚ローターでは、1文字入力すると1番ローターが1目盛り進み、それが1周すると2番ローターが1目盛り進み、2番ローターが1周すると3番ローターが1目盛り進む。この機構により、同じ文字を連続して入力しても違う文字が出力される

この場合のセット位置パターンは17,576通りとなる。さらに、ローターはそれぞれ回路が異なり配列の影響を受ける。初期の運用では配列パターンは6通り、合わせるとローターのパターンは105,456通りとなる。

リフレクター

ローターから得た文字を、固定ペア同士で入れ替えローターに返す。たとえばAとZがペアなら、Aが来たらZに変換する。これにより、暗号化と暗号解読(復号)を設定を変えずに行える(反転性)。また、Aと入力し偶然Aが出力されることはない(不完全性)

これはリフレクターが折り返し地点となり、同じローターの別の接点に信号を返すため。

エニグマの標準的な運用方法

まず両オペレーターが、日ごとのプラグボードやローターの設定(日鍵)が載ったコードブックに従いエニグマを設定する。 次に送信者が、任意の3文字(個別鍵)を2回送信した後、ローターを個別鍵で指定したセット位置に変更し暗号文を送る。

受信者は個別鍵解読後、その個別鍵に従いローターを再設定し復号する。エニグマの仕様(ローター数等)や日鍵は陸海空軍、各戦線で異なった。日鍵に前日と同じローター配列を避けたり個別鍵にAAAを選ぶ等、人の癖が解読のヒントになることがあった。

歴史

エニグマの採用

1918年、ドイツの電気技術者シェルビウスがエニグマを発明した。1926年、ドイツ軍がエニグマを採用し近隣諸国はドイツの暗号が解読不能になった。これに危機感を抱いた隣国ポーランドは、従来の言語学者ではなく数学者中心の解読班を結成した。

ポーランドによる解読

1932年、ポーランドの数学者レイェフスキがエニグマの配線を特定した。これにより日鍵を入手すれば暗号を解読できるようになった。1936年頃、彼は数十分でローターの設定を特定できる画期的な方法を確立した(カードカタログ)

いま2回送信された個別鍵がHFRSKWの時、HとS、FとK、RとWは同じ文字の暗字となる。彼はこの関係を同日の複数の暗号文で確認し、つなげるとすべての文字がH→S→A→Hというような循環する組(巡回置換)に分かれることを発見した。

この巡回置換の組数と文字数の関係はローターの設定に依存するため、設定の選択肢の絞り込みができた。またプラグボードの設定は、予想のつく文字列を探すことで特定した。たとえば、AITLERという文字列はHITLER(ヒトラー)と予想できる。

ドイツはたびたびエニグマの運用方法を変更したが、ポーランドはその都度対応し個別鍵を用い日鍵を探索する機械(ボンバ)も開発した。1938年、ドイツが選択するローターやプラグ数を増やし、ポーランドは暗号解読が資源不足で困難になった。

イギリスによる解読

1939年7月、ポーランドがイギリスとフランスにエニグマの解読情報を渡した。1939年9月、第2次世界大戦が勃発した。イギリスは暗号解読を引き継ぎ、追加されたローターや一部コードブックの入手にも成功した。

1939年秋、イギリスの数学者チューリングが、暗号解読に予測可能なフレーズ(クリブ)を利用する方法を確立した。たとえば、ドイツが毎朝行う気象情報通信ではWETTER(天候)がクリブとなった。

1940年3月、チューリングクリブを用い日鍵を探索する機械(ボンベ)を開発した。その後も彼は、ローターの配列を絞り込む手法(バンブリスマス)等も開発した。1940年5月、ドイツ軍が個別鍵の2回送信を廃止した。

戦後

イギリスによる暗号解読は大戦の早期終結につながった。戦後、イギリスはその事実を隠し植民地にエニグマを配布、 各国を監視し続けた